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北の富士さんをしのぶ会にプロレスラー続々参列 天龍源一郎「生きざまとして憧れの人だった」

東スポWEB 2024年12月19日 6時4分

大相撲の第52代横綱で、11月12日に82歳で死去した北の富士勝昭さんをしのぶ会が18日、東京・墨田区の八角部屋で開かれた。生前に関わりのあったプロレスラーからも、悲しみの声が上がった。

北の富士さんは長身と甘いマスクでも人気を集め「プレイボーイ横綱」などと称されていた。元幕内力士で1974年の初場所で1度対戦している天龍源一郎(74)が参列し「(北の富士さんは)横綱でありながら、平幕の相撲取りにもフランクに声をかけていた。あの頃の(第54代横綱)輪島さん、(元大関の初代)貴ノ花とか、みんな北の富士さんのまねをして銀座に行ったり、そんなことを先走っていた。(北の富士さんは)生きざまとして憧れの人だった。相撲協会で一番最初にゴルフをやり始めたのも、ハワイに行き始めたのも北の富士さん。僕らが20歳ぐらいの時は、めちゃくちゃカッコいいお兄さんみたいな感じだった」と当時を振り返った。

角界OBで、出羽海部屋時代の北の富士さんの弟弟子だったグレート小鹿(82)も出席し「自分が入門した時に北の富士さんは序二段だった。(当時は)100人いる出羽海部屋でいろんな人がいたけど、北の富士さんは若い衆思いの人で、頼りになる兄弟子だった」と明かした。

最後に会ったのは、10年前の出羽海部屋のOB会だった。「一緒にお酒を飲んでカラオケで歌って、楽しい時間を過ごせた」と懐かしそうに顔をほころばせた。

また、2013年に現役を引退した元プロレスラーの鉄人・小橋建太(57)も参列し「妻(演歌歌手のみずき舞)が北の富士さんの奥さんに大変かわいがってもらっていて、北の富士さんは自分の引退パーティーに来てくれた。いつも会うたびに『体、大丈夫?』と気にかけてくれた。すごくダンディーというか、厳しさの中に優しさを持った方だった」と故人との別れを惜しんだ。

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