NHK大阪放送局の高瀬耕造アナウンサーが19日、同局内で行われた12月の「NHK大阪定例会見」に出席し、関西民放・NHK連携プロジェクトについて説明し、阪神・淡路大震災について振り返った。
1995年1月17日の早朝、阪神・淡路大震災が発生した。あれから30年、震災を知らない世代が増える中、同局と関西民放6社が「災害報道」について連携するプロジェクト「震災30年 関西民放・NHK連携」に取り組んでいる。目的は、関西メディアの連携強化と人材育成を行い、地域の災害報道の充実を図ることだ。
各局で活躍中のアナウンサーが同局に集まり、勉強会や研修を行ってきたという。
今月行われた同プロジェクトの「クロスロード研修」を見学したという高瀬アナは「私たちが災害現場でどんなことに迷い、悩み判断を迫られるか、悩む姿を見ていただこうと思います」。同局の「明日を守るナビ」(1月19日)でその取り組みを放送する。
兵庫出身で震災当時、受験生だった高瀬アナは「神戸は私にとって憧れの街だったので、(被災した街を見て)かなり強い衝撃を受けたのを覚えています」と当時の心境を明かした。
高瀬アナは、その年の3月末に進学のために上京した。「朝ドラ『おむすび』の中でお父さんが『神戸をおいて逃げた』って自責の念にとらわれていた。私も上京したという後ろめたさみたいなものがずっとありました」と吐露した。
NHK入局後はさまざまな災害報道に関わってきた。「阪神・淡路大震災に真正面から向き合ってこなかった。昨年28年ぶりに関西に戻ってきて、ちゃんと向き合えということなんだろう」と語った。