作家の大下英治氏が長年、取材してきた渡辺恒雄さんを追悼した。
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令和6年12月19日、読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄が98歳で亡くなった。
私は、これまでに作家として、政界、実業界、官界、言論界、芸能界、フィクサー、アウトローの世界などを舞台に五百冊を超える作品を描いてきた。なかでも、特に「怪物」と呼ばれる人物に興味を抱き、読売新聞グループという巨大メディアに君臨し、多くの総理大臣の後見人的存在であった渡邉恒雄にも早くから注目し、『最後の怪物 渡邉恒雄』(祥伝社文庫)などの作品で取り上げてきた。
わたしが何より渡邉に興味を抱いたのは、彼が若くして戦争に駆り出されたのちに、「反天皇制・反軍部」を掲げる共産党員として出発したそのキャリアにあった。
彼がリーダーとして活躍した東大「新人会」には、彼の盟友でありライバルとなった氏家齊一郎(日本テレビ会長)も所属していた。そのグループからは、渡邉や氏家の他にも、堤清二(セゾングループ代表)など戦後の日本社会のリーダーとなる人物が多く出ている。
渡邉は、共産党員として資本主義の矛盾を追及する眼を持ち、共産党を追放され転向してからは別の視点から物を視る複眼を養っていった。
読売新聞社に入社し、政治記者となってからは、渡邉とは正反対の人情派の保守政治家・大野伴睦の懐に飛び込み、大野の知遇を得ることで派閥記者として力を発揮していく。
のちには自分と関係の深い中曽根康弘を総理大臣に就任させるために、当時、『闇将軍』として最大派閥を率いた田中角栄の支持を得られるように動いている。
その一方で、読売新聞でのし上がっていく過程では、盟友でありライバルであった氏家を読売グループから追放するために陰で動き、社長争いでは副社長で務台の甥である丸山巌の追放にも暗躍したと言われている。
わたしが、渡邉に特に興味を抱くのは、共産党員であった頃の尻尾を残し続けていたことである。
渡邉は、小泉純一郎が総理であった時代、靖国神社を参拝したことを激しく非難している。自らの青春時代、軍隊に追いやったA級戦犯たちが祀られている靖国神社に、国のリーダーが参ることは許せなかったのであろう。
渡邉のその思いは強く、右寄りの読売新聞とは論調の異なる朝日新聞の論説主幹である若宮啓文と共著『「靖国」と小泉首相―渡辺恒雄・読売新聞主筆vs.若宮啓文・朝日新聞論説主幹』を上梓したほどであった。
渡邉は、賛否両論はあれど、政界、言論界、プロ野球界に大いなる力を誇示し続けたが、今後、渡邉のような人物が現れることはないだろう。その意味では、まさしく「最後の怪物」であったと言える。