読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日午前2時に肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳だった。同社政治部の記者から成り上がり、政界や財界に多大な影響を与えたが、プロ野球界でも存在感はまさに絶大。近年は巨人軍の現場に足を運ぶことが少なくなっていたが、晩年になっても勝負に対する執念が衰えることはなかった。監督人事に直結しかねず、闇に葬られた〝爆弾発言〟とは――。
渡辺氏は1996年からおよそ8年間、巨人のオーナーを務め、2004年には「球界再編問題」が勃発。自身は10球団1リーグ制を支持し、プロ野球選手会側と激しく対立した。
その中で当時の古田選手会長がオーナー側との会談を求めたことについて「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。たかがといっても、立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話をするなんて協約上根拠は一つもないよ」と一蹴し、すさまじいバッシングを浴びたこともあった。
渡辺氏の刺激的な発言は枚挙にいとまがないが、体調不良もあって球団の実質的な経営からは徐々に退き、最後に公式行事に出席したのは今年3月のシーズン開幕直前。巨人を応援する財界人たちの集い「燦燦会総会」に車いす姿で登壇し「この2、3年どうも巨人軍の調子が悪くて成績の方も少し残念なところはありますが、今年こそはひとつ頑張って優勝し、日本一に向けて頑張っていただきたい」と激励していた。
本拠地を訪れることも晩年はほとんどなかったが、負けん気の強さはまったく衰えていなかった。19年のことだ。巨人は5年ぶりにリーグ優勝を果たした。ところが、ソフトバンクとの日本シリーズにまさかの4連敗で惨敗。東京ドームの貴賓室で無残な敗戦を見届けた渡辺氏は、同席していた誰もが凍りつく仰天発言を放ったという。
「クビにしろ!」
怒りの矛先を向けられたのは、当時現場で指揮を執っていた原辰徳監督だった。しかし、原監督は至上命令であるリーグVに成功。しかも15年シーズン限りで事実上解任し、編成権までの「全権」を与える三顧の礼で迎え入れた第3次政権1年目だ。優勝したにもかかわらず、3年契約をいきなり反故(ほご)にすれば球団内が大混乱に陥ることは必至だった。
この「クビ宣告」を直接耳にしたのは、ごく限られた〝VIP〟と関係者だけだという。その後、本拠地を後にする際には渡辺氏が車に乗り込むまで読売関係者らが周囲をガッチリとガード。万一にも報道陣の前で感情に任せて大噴火すれば、完全に取り返しがつかなくなることを懸念した措置だった。
読売本社に近い関係者によれば、渡辺氏が投下したド級の爆弾は「なかったことになっている」そうだ。仮に当時、世に出ていれば原監督による翌20年のリーグ連覇も実現していなかったかもしれない。
「ナベツネ」の愛称で知られ「球界のドン」として君臨した渡辺氏。葬儀は近親者だけで営まれ、お別れの会は後日開かれる予定となっている。