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渡辺恒雄さん 歴代首相が頼った「先見の明」 自室の本棚には哲学書がびっしり

東スポWEB 2024年12月20日 6時4分

政界では頼れる人だった。読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが死去したことを受けて、19日には多くの政治家が追悼のコメントを発表した。

石破茂首相は「偉大なジャーナリストだった。これからの日本国家の歩みについて、まだまだ教えていただきたかった」と首相官邸で記者団に答えた。

立憲民主党の小沢一郎衆院議員は事務所X(旧ツイッター)を通じて、「一時代を代表する政治記者というだけでなく、鋭い政治感覚を持ち、常にこの国の先行きを見て全力で行動される方でした」とコメント。2007年の大連立騒動は自民党の福田康夫首相(当時)と民主党代表だった小沢氏の間で浮上したものだが、渡辺さんの関与が指摘されていた。

また、小泉進次郎衆院議員はⅩで「会食の機会を頂いた時の渡邊さんは包み込むような優しさ、暖かさを持つ方でした」と人柄を紹介。国民民主党の玉木雄一郎衆院議員もⅩで「衆院選後の政治状況や我が党の在り方についてご意見を伺いたかったのですが、もはや叶わず残念です。心からお悔やみ申し上げます」と投稿した。

野球ファンからは批判されがちな渡辺さんだが政界からの評価はこれ以上ないほど高い。ある現役代議士は「とても政治に影響力のある方だった。時の首相が渡辺さんの見識を頼って相談に行く関係が長く続いた。少なくとも岸田政権の時までそうだった。石破氏が会ってたかは分からないが、最近は98歳となって体力的に衰えているところはあった」と話した。

自室の本棚はたくさんの哲学書が並んでいたという。「永田町にそういう人がほかにいますか? 大局的な見方ができる人だったから多くの政治家に頼られていたのです」(同)

記者としても優秀だった。東京大学に入り、軍隊生活も経験。あるジャーナリストは「すごい人と言っていい。戦後は共産党に入党したが、いわゆる主体性論争があって共産党を抜けた。その後、読売新聞に入って頭角を現すのですが、取材者としてもすごくて、1950年代に共産党で火炎瓶闘争というのがあったとき、渡辺さんは1人で山の中の関係先に取材しに行って危険な目に遭ったという話もあります」と解説した。

石破首相にとって頼りになる相談相手がいなくなってしまったことは大きなショックだろう。

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