日本が誇るトップ大学、東京大学に「襖・障子の張り替え」を専門とする団体があるのはご存じだろうか。今回は主に家庭からの依頼を受け、格安料金で襖・障子の張り替えを行う「東大襖クラブ」を取材。70年続いている特徴的な活動内容や、襖に向き合って見えたという、その魅力を語ってもらった。
東大襖クラブが誕生したのは、戦後間もない70年前と語るのはクラブに所属する池村早織さん。「東大生も家庭教師などのアルバイトが少なく、その中で襖を張ったらどうかという声があって始まったそうです」
現在はバイトを掛け持ちしている学生も多く、クラブ活動が主な収入源という学生は少ないとのこと。襖を張るという作業への純粋な興味が入部動機につながっているという。
同部員の江上愛歌さんは「サークルを見つけた時に、この機会を逃したら人生で襖を張ることはないんじゃないかと思ったんです。実際に新歓に行って、穏やかな雰囲気に引かれて入りました」と説明。また以前から襖クラブの存在を知っていたという西村美咲さんは「私が中高生の時に、アイドルグループが襖クラブを訪問している番組を見ていて。活動内容が面白そうでしたし、本音を言えばいつか芸能人に会えるかもしれないと思ったのも理由ですね」と素直な動機を語った。
なお、1年生の間は修業に徹するというのが襖クラブの通例。春~夏に10枚、秋~冬に10枚といったペースで、基本の2種類の襖の張り替えを練習するところから始まるという。練習で張り替えた襖には1年生が反省点を書き込み、その後上級生がフィードバックを返すという、確固とした指導システムがあるのも特徴だ。その期間を終えると、続いて上級生に付き添う形で現場での張り替えを体験。数回の付き添いを経て“独り立ち”に至るという。
基本的な対応地域は東京・神奈川・千葉・埼玉の「1都3県」だが、学生の帰省先と近かった場合など、条件が合致すれば遠方まで足を延ばすことも。十数年前には離島で張り替えを担当したことがあると、現役部員には“伝説”として語り継がれている。そして意外にも依頼先は9割が一般住宅とのこと。寺院や宿泊施設の依頼もあるが、少数派だ。住宅では定期的な張り替えの依頼もあれば、引っ越し前の原状復帰を担当するというケースもあると部員たちは語る。
また依頼先には工賃や交通費のほか、昼食または昼食費を用意してもらっているという。
部員の新川健悟さんは「約60年前に一度依頼したという方に、再度張り替えを依頼していただいたことがあるのですが、当時の学生は食事だけでなくお風呂にも入らせていただいたようで…。隔世の感がありました」とかつての厚遇を明かした。実際、想像以上の量の昼食を用意される場合もあるとのこと。池村さんも「訪問した先でいろいろなご家庭のカレーを味わうことができてすごく幸せですね」ともてなしへの感謝を語った。
そんな温かい人々に支えられているサークルだが、依頼数自体は和室文化の衰退も影響し、減少しているのも事実。池村さんは「一番盛り上がっていた時期では、繁忙期の12月だけで、現在の1年分の依頼が来たという話も聞いたことがあります」と説明する。
とはいえ“襖張り”の魅力は健在だと東大生たちは指摘する。「1つのものを深く知ることによって世の中の見方も変わってくると思うんですよね」と強調する新川さんは、昭和期を再現することが多いNHK朝の連続テレビ小説のセットで、色の違う障子1マスが気になってしまうことも。細部から生活のつつましさを表現する、美術班のこだわりを感じるそうだ。襖や障子に目が行くという点は全員同調しており、もはや“襖クラブあるある”となっていた。
またフィクションだけでなく、作業現場でも発見があると語るのは西村さん。「中にも紙が張ってあるタイプの襖では、はがしていくと昔の文章や新聞、絵はがきが出てきます。その家の歴史を感じると結構感動してしまいますね」
加えて襖の流行も移り変わるため、柄だけで時代の流れを感じることができるそうだ。
部歴が浅いという江上さんも、インタビューの最後には「実際仕事をすると、何度も張り替えられた襖特有の傷みがあったり、部品ごとに固有の取り外し方があったりして。意識していなかった場所にこんな“知識の集大成”があったのは驚きでした」と奥深さをアピールした。
東大で今も存在感を示す襖クラブ。学生を支える人々とともに積み重ねてきた伝統が、これからも続くことを願うばかりだ。
☆とうだいふすまクラブ 1954年に活動を開始した、東京大学の「襖・障子張り替え」サークル。戦後の大学生の貴重な収入源として発足した歴史を持つ。現在も学生間で襖・障子の張り替え技術を継承。一般家庭や各種施設からの依頼を受け、張り替え作業を担当している。