全日本プロレスの諏訪魔(48)が昨年末で専務執行役員を退任し、2025年1月1日付で非常勤取締役に就任した。併せて「プロレスリング・エボリューション」の社長に就任。今後は全日本での試合は月1~2試合程度になる。王道マットでの戦いの第一線から退く暴走社長が、今後の団体に望むこととは――。
【諏訪魔 全日本プロレス暴走史(5)】
――全日本に所属として残るが、以前よりかかわりは減る
諏訪魔 徐々にだけど、減っていくよね。ただ、全日本にはやっぱり、単体で頑張っている団体でいてほしいなとは思う。会社名も変わちゃったりしてるけど、全日本プロレスの看板は残してもらいたいよね。ワクワクする戦いというか、熱くなるような戦い、すごさを見せる団体でいてほしい。いい感じで若い子たちも出てきてるから、あとは戦い方とか内容だなって思う。
――タイトル戦線や春の祭典「チャンピオン・カーニバル」や暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」は
諏訪魔 月1~2回の参戦じゃ出られないよね。そんなに自分の今の居場所(エボリューション社長)を空けるわけにはいかないし。
――20年でやり遂げられなかった心残りはあるか
諏訪魔 (65歳まで現役を続けた)天龍源一郎さんの話を聞いたら、まだまだ頑張らないといけないし、もうひと花咲かせたいんだよ。一プレーヤーとしてね。それができたら灰になれるような。一つは日本武道館かな。日本武道館のリングにもう一回立ちたいな。
――なぜ日本武道館
諏訪魔 小さいころから見に行った会場だしね。昔3冠戦や最強タッグを見たし、(1990年6月8日に)ジャンボ鶴田が三沢光晴に初フォールされた試合とかさあ。あのへんはずっと武道館に見に行ってるんだよ。帰る時に、堀にかかる橋を渡るところで「三沢」コールとかが起きてたなあ。もう興奮冷めやらなかったよね。スタン・ハンセンすげーなあとか、大好きな会場だったね。
――2011年8月の「ALL TOGETHER(AT)」と22年9月の「全日本50周年記念大会」で日本武道館のリングに立った
諏訪魔 ATは全日本と新日本プロレスとノアの合同興行だったし、50周年の時は満員にはならなかったからね。やっぱり自分の団体でやって超満員にしたい。あの武道館が超満員になると壮観なんだよね。そして武道館で勝ちたいな。俺さあ、リングで勝った後に天井を見るのが好きで。武道館の天井は広いんだよ。国旗があって。武道館で勝って、あの天井を試合後に見たいね。
――エボリューション社長としてもスタートを切る
諏訪魔 地道にやりますよ。29日に初の新宿フェイス大会をやるけど、ここがコンスタントに埋まるようになれば、結構いい感じでいくと思うんですよ。そうすれば後楽園ホール、さらに上の会場へとステップアップできるしね。あとは選手か。29日にデビューするChikaを入れて女子の所属は5人になるから、当面の目標は8人にすることだね。今、スカウトしてる子もいるから、今後は暴走社長として頑張りますよ。