【波瀾万丈 吉田秀彦物語(18)】2003年8月のPRIDEミドル級GP1回戦で田村潔司選手のパンチで意識が飛びながらも何とか勝ちました。格闘技デビューから1年。ボクシングとキックボクシングのいろいろなジムに通い、打撃のトレーニングに励んできました。でもやはり、長年培ってきたものが体に染みついて、どうしても柔道の動きが抜けなかったんです。
格闘技では相手のキックが飛んできたら、自分の脚を上げて蹴りをカットしないといけない。でも柔道では相手の攻撃が来ると思ったら、投げられないように下に重心をかける。試合中もとっさに柔道の反応になり、余計にキックが効いてしまうんです。「仕方がない」とは思いましたが、やっていることが違うので、蹴られる前にこちらからいくしかない。
このころは柔道衣を脱いで戦う気持ちは全くありませんでした。相手が裸だと自分としてはやりづらいけれど、逆に相手もやりづらいだろうと考えていたんです。柔道衣同士、裸同士はお互いに慣れている。自分は裸で格闘技の練習をするとめちゃくちゃ苦労したから、裸の相手も柔道衣の自分に苦労するだろうと。それに柔道衣のズボンをはいていたら、少しはキックのダメージがなくなるんじゃないかと思っていました(笑い)。
だから、リングで着る柔道衣に関しても徹底的に研究しました。柔道時代に着ていたものとは全く違います。最初に取り組んだのは、柔道衣を軽くすることでした。重いと疲れるし、とりあえず動きやすいようにしたかった。柔道衣の重さはだいたい3キロですが、1キロ軽くして2キロに抑えていましたね。
さらに形も改良しました。パンチを打つ際に柔道衣の袖が邪魔にならないように、背中に折り目を入れて袖が伸びるような構造にしました。また柔道衣の袖口を広げ、袖車を仕掛けやすいようにもしました。試作品も4、5着は作って動きやすい柔道衣を求めました。戦闘服の秘密? そういうことです(笑い)。
そうした中で、PRIDEミドル級GP準決勝で、いよいよ世界最強の男と戦うことになります。準決勝の公開抽選で自分は当時のPRIDEミドル級王者ヴァンダレイ・シウバ(※)を指名しました。
正直に言えば、やりたくなかった(笑い)。ヴァンダレイは目からして血走っていて、本当に「ヤバいヤツ」。でも当時の自分は世界最強とは思っていなくて、「やらなきゃ、やられる」を味わえる相手でもありました。ファンの期待もあったし、自分は格闘技人生で最高の対戦相手と戦うことになります。
※ ブラジル出身で当時のPRIDEで5年間無敗のストライカー。対日本人選手では全勝。24年2月に世界最大の総合格闘技団体「UFC」(米国)で殿堂入り。