【波瀾万丈 吉田秀彦物語(22)】2005年は4月にヴァンダレイ・シウバと再戦した後、8月にはUFCで活躍した巨体のタンク・アボットと戦いました。ゴングが鳴って最初に、自分が左のハイキックを蹴ったんです。実はこれ、フェイントのつもりだったのですが…アボットの側頭部に当たってしまった。相手が効いているのがわかって、クラクラしている。まさか当たると思っていなかったので「これはまずい…」と思いました。
なぜ? 02年大みそかの佐竹雅昭戦で50秒で勝って、各所からブーイングをくらったから。自分の蹴り一発でKOして早く試合が終わったら、またブーイングが起きると考えて「倒れるな、倒れるな!」と願いました。何とか相手は倒れず、グラウンドへ。「時間を延ばさないと」と思いながら戦って、最後は片羽絞めで勝ちましたが、きちんと攻防がある試合となって良かった(笑い)。
この年の大みそかには、またもヘビー級で巨体の相手と当たります。そう、小川直也先輩です。このオファーはアボット戦が終わり、夏休みを取った後に届きました。最初に思ったことは「嫌だなあ…」。自分にとっての小川先輩は、柔道時代のイメージが強すぎる。明大柔道部では一緒に練習したし、社会人になってからは試合もしている。「デカくて力が強い」の印象が強くて、小川先輩と柔道での練習では、寝技で関節技を取ることもできなかった。
とはいえ「仕事」だから仕方ない。自分はオファーを断ったことがないので受けましたが、もう周りが大騒ぎでした。「水と油」「因縁の対決」「平成の巌流島」とあおられましたねえ。小川先輩がプロレスに転向してから交流がなかったから仕方がないのですが、自分の中では、周りが思うほどの敵対意識はありませんでした。
小川先輩が「ハッスル」で活躍していたのは知っていたし、橋本真也さん(※)が亡くなって“弔い合戦”みたいなストーリーもできていた。でも「別に向こうが何をやろうと俺には関係ない」と考えていましたし、「対プロレス」ということは全くなくて、あくまで「対小川先輩」という意識でした。
小川先輩と並んで臨んだ記者会見ではすごい警戒態勢でピリピリムード。「何だ、これ?」「これがプロレスの世界かあ!」と痛感しました。会見で小川先輩と直接話したわけではなかったし、自分は通常モードで臨みました。05年大みそかにさいたまスーパーアリーナの「PRIDE 男祭り 2005 頂―ITADAKI―」で小川先輩と2度目の対決です。
※「破壊王」の異名を取った人気プロレスラー。小川とは死闘を繰り広げた後に、タッグチーム「OH砲」を結成して活躍。05年7月11日、40歳の若さで死去した。