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年間40億の赤字に苦しんだ近鉄球団 契約更改できず年俸5億のローズが退団【平成球界裏面史】

東スポWEB 2025年1月19日 9時13分

【平成球界裏面史 近鉄編87】前回までは元近鉄・タフィ・ローズの退場エピソードにスペースを割いてきたが、時間を巻き戻す。ローズはキャリアハイとなった55本塁打を放った平成13年(2001年)から、46本、50本と3年連続でホームランを量産。この頃のパ・リーグは西武のアレックス・カブレラと近鉄・ローズのハイレベルな本塁打王争いが名物になっていた。

平成14年(02年)はローズの46本に対しカブレラが55本。この数字が示すように西武はリーグ優勝に輝いた。続いて平成15年(03年)は51本塁打のローズに対し、カブレラは50本。1本差でローズが自身3度目の本塁打王を手にした。このシーズンのローズは3年連続のベストナイン。打点でも117を稼ぎ、ダイエー・松中信彦の123に次ぐ2位につける好成績だった。

近鉄に在籍8年。チームにとっては欠かせない存在になっていたことは間違いない。ただ、オフの契約更改交渉では希望していた複数年契約の締結に至らず、まさかの決裂。11月10日には近鉄退団が発表された。選手の評価は年俸の額であり、契約年数という概念は今でこそ当たり前だが、当時はそこまでの認識はなかった。

とはいえ、近鉄ファンの多くは金銭を渋った近鉄球団に不満をぶつける声が多かった。NPB生え抜きの日本人選手にはまだ、国内でのFA移籍は「裏切り」のような風潮はあったが、助っ人に関しては金銭で移籍先を選ぶのは普通という空気があった。

ただ、今になって思えば当時の近鉄がコストカットを断行しなければいけなかった事情は理解できる。翌年の平成16年(04年)には実際に球団は消滅してしまったわけで、近鉄本社経営陣からすれば、不採算部門の整理は喫緊の仕事だったのだ。

当時、近鉄バファローズの親会社・近畿日本鉄道はバブル期に巨額の投資で手掛けた事業が続々と赤字に。1兆円を超える有利子負債を背負い、グループ全体のリストラが必須の課題だった。ホテル事業、遊園地などのレジャー施設や、百貨店の不採算店舗の閉鎖、統合を断行していく中で、近鉄球団の存在は大きな負担だった。

当時、年間40億円近いといわれた近鉄球団の赤字。その中にあってローズの年俸は出来高を含め5億円ほどと言われていた。赤字総額の12・5パーセントかと思うと大きい。そのほかにも平成13年(01年)のリーグ優勝時に二桁勝利だった前川勝彦、ローテ投手の門倉健ら主力を放出。これも今思えばコストカット計画だったのかと思ってしまう。

ローズは近鉄退団を決めた約1か月後に巨人入りを決めた。中日も獲得合戦に参戦した。その上で熱意を感じた巨人を移籍先に選んだ。この当時のセ・リーグは原監督率いる巨人、岡田阪神、落合中日の優勝争いが激化していた。そのうちの巨人、中日がローズ獲得に動いたことを見ても、近鉄の方針に疑問を持つファンが少なくなかったことがうなずける。

「メジャーでは移籍なんて珍しいことではない。巨人のユニホームに袖を通せば、俺は巨人の選手になる」

当時のローズは気丈に話していた。だが、それは本音ではなかった。

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