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“オシム教室”続けられていたら…代表コーチ陣は質問攻めに戦々恐々 07年無念の監督交代

東スポWEB 2025年1月19日 10時2分

【多事蹴論96】オシムジャパンはコーチ陣の強化から始まった――。2006年ドイツW杯1次リーグで敗退した日本代表は10年南アフリカW杯に向けて1990年イタリアW杯でMFドラガン・ストイコビッチを擁するユーゴスラビア代表を率いた千葉のイビチャ・オシム監督に白羽の矢を立てた。既存の考えにとらわれない発想力と緻密な戦略でチーム強化が期待されていた。

06年7月に就任。コーチングスタッフは全員が日本人で編成された中でオシム監督は代表スタッフミーティングを開催した。それまで日本代表のJリーグの試合前と試合を終えた後の週2回集合するのが定番で週末の試合に向けて何を目的に誰を視察するのか。どのコーチがどの試合を見に行くのかを決め、週明けには視察したことを指揮官に報告するのが一般的だった。

しかしオシム監督のミーティングは違った。加藤好男GKコーチは「あの選手はどうだ?というところから。何が良くて何が悪いのか。前の試合はどうか。監督の起用法はどうか。今後にどうなるかなど疑問形で聞かれる。それにスタッフが答える形式で細かいところを調べないといけない。時にはクラブの監督に起用法を聞くこともある。突然何を聞かれるかわからないので準備しておかないと…」と語る。

当初はコーチ陣はミーティングに戦々恐々だったという。ある時にはJ1川崎に所属し、まだ代表歴のなかったGK川島永嗣の状態について話が及ぶとオシム監督は「なんで川島は川崎に移籍することになったんだ」「なぜ(06年まで所属していた)名古屋で試合に出ていないのか」「昨年までの状況は」「それ以前はどうだったんだ」などピッチ外の状況にまで答えを求められたという。

コーチ陣が指揮官の考えを理解できない状況にオシム監督は直接指導に乗り出した。全スタッフをスタジアムの一室に集め、オシム監督が試合を見ながら選手のプレーについて「なんで慌ててボールをさばくんだ」「〇〇はボールがないところでの動きがいい」「なんで逆サイドを見ていないんだ」と独り言のようにつぶやくのを千田善通訳が伝えるというものだ。

今後の試合視察でオシム監督が欲する情報を得るために考え方を知ってもらうための“オシム教室”で選手と同様にコーチ陣が指導を受けた格好。中には熱心にオシム監督の言葉をメモするスタッフもいた。加藤GKコーチは「ダメとかいいではなく、そういうことが普通になっていかないといけない」と気を引き締めていた。

コーチ陣の強化から始まったオシムジャパンは07年11月に指揮官が急性脳梗塞で倒れたため、日本代表は再スタートすることになったが、DF中沢佑二が「オシムさんが続けていたら世界で勝てるチームになっていた」と語るように、期待が高まっていただけに残念な結末だった。 (敬称略)

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