【取材の裏側 現場ノート】日本における女子レスリングの歴史を改めて思い出したのが「東京スポーツ新聞社制定2024プロレス大賞supported byにしたんクリニック」授賞式(8日)でのワンシーンだ。レスリング特別表彰を受賞したパリ五輪金メダリストの女子53キロ級・藤波朱理(日体大)、女子57キロ級・櫻井つぐみ(育英大助手)、女子76キロ級・鏡優翔(サントリー)、男子フリー65キロ級・清岡幸大郎(三恵海運)と、話題賞を受賞したダンプ松本、ブル中野がともに写真撮影。ダンプが竹刀で藤波を絞める貴重な?ショットとなった。
ネットフリックスのドラマ「極悪女王」を見たばかりで「衝撃を受けた」という藤波はダンプと対面し「本当に優しくて、イメージと全然違いました」と笑顔。当の極悪女王も金メダリストたちを「すごいよね。ものすごい練習を重ねて、しかもプレッシャーがあるなかで勝つのは半端ない。素晴らしい」と激励。心を通わせた。
女子レスリング誕生には、女子プロレスの存在が欠かせなかった。1983年、欧州が女子競技を始めていたことを知り、福田富昭氏(現・日本レスリング協会名誉会長)が周囲の反対を押し切って女子導入を決意。選手獲得へ目を付けたのが、クラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)やダンプらの極悪同盟で空前の人気だった女子プロレスだった。
福田氏は全日本女子プロレスに直談判。オーディション参加者に声をかけて、全女の道場に集まる少女たちに「プロへの道はアマチュアから」と書いたチラシを配るなどして〝アマレス〟少女を増やしていった。
40年以上が経過し、今では五輪で金メダルを量産する日本のお家芸となった。常に多くの関係者、選手の努力、尽力があったからこそ。だが、その中にダンプら女子プロレスラーの存在があったことも、心にとどめておきたい。(スポーツ担当・中村亜希子)