【波瀾万丈 吉田秀彦物語(24)】2005年は小川直也先輩に勝って終わりました。06年は「PRIDE無差別級グランプリ(GP)」に臨みます。
5月の1回戦では元ボクサーの西島洋介(旧リングネーム・洋介山)選手が相手でした。不利になるため前戦で脱いだ柔道衣にも、再び袖を通しました。洋介山は一緒に練習したことがある選手だったし、パンチがすごいのはわかっていました。特に左ジャブが速い。「殴り合ったら負ける」と思って、距離を取りながら殴っているフリをしました(笑い)。相手はこれが総合格闘技2戦目。経験を生かして絶対に自分からいかず、最後は三角絞めで勝ちました。
勝ち上がって06年7月、GP2回戦の相手はミルコ・クロコップです。洋介山戦から間隔が2か月もない中での試合でしたが、それは相手のミルコも同じだから仕方がない。戦ってみて一番の印象は「痛かった」。ミルコはK―1のころから試合を見ていましたが、見るのと実際に戦うのはまた違います。
自分が見てきたミルコは、左のハイキックがすごい選手で、そのイメージが頭に残っていました。だから、ミルコの左ハイだけを警戒していたんです。ところが右のローキックが飛んできた。脚にこれまで感じたことのない痛みが走り、めちゃくちゃ痛かった。1発目で「これはヤバい」と感じたところ、2発目をくらってしまいました。
マットに倒れた瞬間、心が折れました。「もう、蹴らないでくれ」と…。それまで自分は「絶対に心は折れない」と思っていました。柔道でも試合を諦めたことは一度もありません。だから、初めての経験でした。心が折れてしまった状態では試合ができない。そのままタオルが投げ込まれて、7分38秒でTKO負けに終わりました。
当時の「3強」(※)の一人、ミルコはすごかったですね。体がデカくて、総合格闘技で鍛え上げてきた人は「強い」のひと言。打撃一つをとっても違います。柔道から来た自分らが何年やっても、ボクシングやキックボクシングを何十年もやってきた選手にはやっぱり勝てない。彼らは長年の経験で培った技術が染みついている。まして自分の体には柔道が染みついていますから、脚でカットしなければならないローキックを踏ん張って受けてしまうんです。
今となってみると、ヴァンダレイ・シウバを相手にあれだけの試合ができたんだからミルコ相手でも、もうちょっとやれたはず。ただ試合後ヴァンダレイとは「もう一度戦いたい」と感じましたが、ミルコは「1回やったから、もういいや」とは思いました(笑い)。
※ ロシアのエメリヤーエンコ・ヒョードル、ブラジルのアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、クロアチアのミルコは「3強」と呼ばれた。