【赤ペン! 赤坂英一】キャンプインを来月に控え、新人合同自主トレもたけなわである。巨人では3月1日開業予定の新球場「ジャイアンツタウンスタジアム」で、ドラフト1位・石塚裕惺(18=花咲徳栄)をはじめルーキーが体づくりの真っ最中だ。
石塚は「新しい球場は施設も人工芝もすごくきれいでモチベーションを高めてくれる」と感激した様子。そんな新人たちに阿部監督は「居心地よくなっちゃうんじゃないか」と、さっそくクギを刺している。
「ここで活躍するんじゃないんだ。東京ドームで活躍するんだと、目標をしっかり持って頑張ってほしいと伝えました」
石塚はキャンプで二軍スタートの予定。「しつこい川相コーチにお願いします」と今年一軍から二軍に配転となった“鬼軍曹”にみっちり鍛えてもらうつもりだという。
その川相コーチや桑田二軍監督が新人だった1980年代、ファームの施設は現代とは比べ物にならなかった。特に寮は2人一部屋でエアコンなどなく、夏は扇風機だけが頼り。冬は全館一斉暖房で、朝からボイラーが立てるけたたましい音で叩き起こされる。
当時は二軍戦の遠征先で新人が用具係まで務めなければならなかった。旧式の打撃ケージの鉄柱を立て、ロープを張り、ネットをかけて設営するともうヘトヘトだった。
おまけに寮の門限破りがバレると、当時の寮長に竹刀で散々ぶっ叩かれる。そんな過酷な環境で抱いた「いつまでもこんなところにいられるか!」という思いこそ、桑田や川相の「モチベーション」だったのだ。
昭和の寮が地獄なら、令和の寮は文字通り天国である。DeNAのドラ1・竹田祐(25=三菱重工West)も、練習施設DOCKの寮について、こんな感想を明かした。
「お風呂が素晴らしくてびっくりしました。温泉みたいで、(他の新人と)みんなでしゃべりながらゆっくりつかりました。こんな素晴らしい環境でやれるので自分のレベルを上げていきたいです」
竹田の話を聞き、ふと思い出したのが田代富雄野手コーチが若手だった1970年代のことだ。
当時の寮は多摩川下流の等々力にあった木造2階建て。やはり部屋にエアコンはなく、熱帯夜の日、田代コーチは窓から上半身を出したり、外の駐車場にマットレスを敷いたりして寝ていた。時には雨に降られて目を覚ましたこともあるという。
竹田のような今時の新人が聞いたら、これこそ本当に「びっくり」する話かもしれない。