昭和、平成と活躍した歌手の三浦洸一さんが老衰のため都内の病院で11日に死去していたことが、21日の日本歌手協会の発表で分かった。97歳だった。遺族の意向により、すでに家族葬が営まれた。
発表によると、三浦さんはビクター専属の最古参歌手で、昭和20(1945)年代から歌い続けた。神奈川県三浦市の浄土真宗本願寺派最福寺の三男として生まれ、幼少期から祖父のもとで読経を学んだが、戦後に東洋音楽学校(現東京音楽大学)に進学。声楽科卒業後に日本ビクターレコードに入社した。
作曲家の吉田正氏に師事し、53年5月に「さすらいの恋唄」でデビュー。同年9月の「落葉しぐれ」が大ヒットし「吉田学校の長男坊」として歌謡界をリードした。55年の「弁天小僧」、56年の「東京の人」、さらに57年に「踊子」と大ヒットを連発し、一世を風靡。この時期、春日八郎、三橋美智也とともに「御三家」として注目を浴びた。フランク永井の代表曲「有楽町で逢いましょう」は当初、三浦さんのために作曲されたが、スケジュール上の都合で歌い手が変わったという。
NHK紅白歌合戦には55年から63年まで連続出場。64年に落選した際は「三浦を落とすならビクターの歌手全員が辞退する」と言わしめたほどの大スターだった。65年以降に「なつメロブーム」が到来し、請われると出演。平成時代までなつメロ番組に欠かせない歌手として名を馳せた。
83年にはタモリの人気バラエティー番組「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にレギュラー出演。2000年に「日本レコード大賞」の功労賞、21年には「日本歌手協会功労賞」を受賞した。12年の「靖國神社みたままつり 奉納特別公演」の出演を最後に表舞台を去り、悠々自適の生活に。1年半ほど前に都内の病院に入院。ビクターからのCDは「日本の流行歌スターたち」が発売中。