【波瀾万丈 吉田秀彦物語(26)】2002年11月から上がってきたPRIDEでは、同級生の高阪剛から技術を教わってきました。彼のコーチングは「的確」のひと言。高阪の人脈でいろいろな人からも技術を指導してもらえた。最初のころの練習では、みんなに足への関節技を取られてタップの連続(笑い)。でも、そうやって取られながら覚えていきました。
高阪とは先日も一緒に食事をしました。もう昔を振り返る話ばかりでしたね。「PRIDEがあったころはみんな夢があったよね。希望を持っていたよね」と。今の格闘技界のことはわかりませんが、その夢のあったリングが07年春に突如、消滅したんです。当時は「UFCと一緒にやっていく」とも言われていたので「UFCでやるのかな」とも思っていました。
ところが…一向に何も始まらない。時間だけが過ぎていきました。選手は無職になり、試合からは遠ざかっていくばかりです。「こんないいコンテンツをつくり上げたのに…。このままじゃ日本に残っている選手がダメになる」。自分はそう思うようになりました。
今の選手たちは「UFCに行って一旗揚げなきゃ」というのが目標でしょうが、自分は「UFC」が目指すところではありません。「日本のコンテンツにこそ必要。テレビ局が必要とする選手にならないといけない」とも考えていました。何より、選手としていつまでできるか、わからない年齢でしたから(笑い)。
そこで立ち上げたのが「戦極(せんごく)」です。テレビ東京さんと組んでゼロから立ち上げました。PRIDEがなくなっても選手はいるからコンテンツをつくり上げないといけない。大変でしたが、裏方の仕事、運営面は友人がやってくれました。スポンサー、テレビ局との交渉などをまとめてくれたことが大きかったです。打ち合わせに同席することはありましたが、選手として練習し、選手を集めることに集中しました。戦極をどういうものにしていくかにかかりっきりでした。
そうして08年3月5日、東京体育館で戦極旗揚げ戦にこぎつけました。自分にとって1年3か月ぶりの復帰戦。相手はジョシュ・バーネット(※)。すべてにおいて手探りで、いろいろな選手を出したかったけど、他団体との関係など出られる選手は限られてくる。ジョシュは高阪とも仲が良く一緒に練習をしたこともありました。
ジョシュは力が強くてバックドロップまでくらってしまった。「バランスが崩れて持ち上がらないだろう」と思っていましたが、それでも持ち上げてくる。3ラウンド3分23秒、ヒールホールドで敗れましたが、ジョシュは強かったですね。
※ 元UFCヘビー級王者。PRIDEなどMMAのリングから、新日本プロレスや故アントニオ猪木さんが率いたIGFでも活躍。