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無職のジャイアント馬場さんに「ボクサーになれ!」 門馬忠雄氏が〝世界の16文〟の不遇時代をひも解く

東スポWEB 2025年1月23日 5時7分

1月23日は故ジャイアント馬場さん(享年61)の生誕の日。31日は馬場さんの命日で、今年は東京・後楽園ホールで「ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会」が開催される。昭和も100年となった今、本紙OBで馬場さんと親交があったプロレス評論家の門馬忠雄氏(86)が、〝世界の16文〟の不遇時代をひも解いた。

――昭和プロレスの象徴だった馬場さんが亡くなり、26年を迎える

門馬氏(以下、門馬)馬場さんが1959年にジャイアンツ(プロ野球巨人)をクビになった後、住んでいたのが神奈川・川崎市の新丸子だった。そのアパートのはす向かいにあったのが、ボクシングの不二拳闘ジム。袴田巌さんはそこの所属ボクサーだった。馬場さんは日本プロレスに入るまでの浪人時代、体がなまらないように多摩川土手を、親交のあった不二拳のボクサーと朝夕、ロードワークを行っていたんだ(※馬場さんは巨人に1955年から5シーズン在籍。日本プロレス入門は60年4月に力道山に直訴して認められた)。

――袴田さんは59年前の静岡県一家4人殺害事件で死刑判決を受け、再審で昨年10月に無罪が確定した

門馬 あくまで私の推察だけど、たぶん面識があったんじゃないか。そのつながりかどうかはわからないが、日本プロレスの巡業があった静岡の駿府会館で、ボクシングをやめていた袴田さんが会場の切符切りをしていたんだ。私はボクシング担当で袴田さんと面識があったので、お互いに目であいさつしたよ。

――袴田さんの現役時代も知っている

門馬 地味なボクサーで、活字になるほどではなかった。でも日本ランキングにも入ったし、10回戦でも戦った。当時、「袴」という漢字が書きづらかったので、よく覚えている(笑い)。今から2年ほど前に、馬場さんが住んでいた新丸子のアパートを探しにいったこともあって、その近くの和菓子屋さんも訪れたが、そこのおばあさんが店に来た馬場さんのことも、袴田さんのことも覚えていた。「袴田さんって、そんな悪いことする人じゃないよね」と話していたなあ。

――馬場さんは不二ジムとつながりが深かった

門馬 馬場さんが住んでいた木造アパート2階で、隣の部屋だったのが不二拳所属で全日本ミドル王者にもなった前溝隆男さん。後に国際プロレスではレフェリーをやったんだけど、お互いにお金がなくて暖房器具も買えなくて、冬には「寒いから」と2人で新聞紙を丸めて暖をとったらしいよ。不二拳の会長からは「ヘビー級のボクサーになれ」と、無理なことを言われたくらい。馬場さんにもそんな時代があったんだよ。

――馬場さんの反応は

門馬 馬場さんは「何であの頃の話を持ち出すんだ」と嫌がっていたね。前溝さんは「そうだよ」と認めてくれたけど。交流試合などの興行で、馬場さんが前溝さんと一緒になると、「俺のそばにあまり来るなよな」と話していたよ。一番、貧乏だった時代を知る人が来たんで、けむたかったのだろう。馬場さんから袴田さんについての話は聞いたことはないけれど、袴田さんの再審が終わり、袴田さんの記事を見るたびに、私には馬場さんの顔が浮かんでくるんだ。馬場さんが多摩川土手のロードワークで落ち込んだ精神状態を吹っ飛ばそうとした時、袴田さんが一緒に走っていたら…。いろいろ想像できるんだよね。

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