マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏(51)が、21日(日本時間22日)に米野球殿堂入りを果たした。走攻守にわたって超一流のプレーでファンを魅了した背景には、人並み外れた美学やこだわりがあった。オリックス時代のイチロー氏を知る番記者が振り返る。
イチロー氏のプレーはオリックス時代から華やかだった。試合前の打撃練習から周囲をクギ付けにし、繰り出す快音に周囲からため息が漏れた。自軍の選手なら練習の手を止め、ビジター試合なら練習を終えた相手チームの選手が再びベンチに出てきてその打撃に見とれた。後年の日本ハム・大谷翔平(ドジャース)がそうだったように、イチロー氏の打撃練習も〝ショータイム〟だった。
元同僚の大島公一氏は「打撃練習もいろんなことを考えながら取り組んでいる。ティー打撃のバットの入れ方、打球の角度。フリー打撃の時は調子がいいと角度をつけて全部柵越え狙いの大きいのを打ち、調子がよくないとボールの内側を叩いて反対方向に打つ。参考にもなるし、納得させられる。彼の練習はホント目を引きましたよね」と振り返る。
胸をすくような打球音も特徴的で、チーム関係者は「スコーンという打球音が他の選手と違う。球場の外にいてもイチローが打っているのが分かった」と話していた。
天才的な打撃のみならず、守備も華麗だった。鉄壁外野陣と言われた田口壮氏、本西厚博氏との遠投キャッチボール、背面キャッチでスタンドをわかせ、強肩と守備範囲の広さでも同僚の度肝を抜いた。
当時、主に一塁手だった藤井康雄氏は「センターがイチローでレフトがデカ(高橋智)の時、レフトフライをデカが見失った。と思ったらイチローが普通に来て捕って普通にボールをショートに返した。その生意気な感じがスゲーなと思った。僕も94年ごろはライトに入っていたからそんなのしょっちゅう。右中間は彼に任せていた」と舌を巻いている。右翼から本塁で捕殺する返球も大きな見せ場となり「レーザービーム」と名付けられた。
尋常ではない練習量をこなしながらも、プレーでは汗と泥を全く感じさせず、難しい打球をいとも簡単にバットではじき、軽々とグラブでさばく。その姿をネット裏で観戦したイラストレーターの山藤章二氏は「彼はどこまでも力を入れずにゆらゆらと飛んでいく紙飛行機のようだ」とつぶやいている。
常にファンの目を意識し、かっこよくあり続けた。出塁すると手袋をポケットに入れず、左手に握ったまま二塁を狙った。腰のポケットに入れるとそこだけ膨らみ、全身のシルエットがおかしくなることを気にした。
ベンチでは攻守交代の際、帽子とヘルメットを変えるが、わざわざ身をかがめて隠れるようにかぶり変えた。薄毛を気にし、髪の毛がペタッとなっているところをテレビカメラに撮られるわけにはいかなかった。
そのプロ意識の高さはプレーヤーとしてだけでなく〝被写体〟としても超一流だった。引退し、髪色が白くなっても学校訪問で球児相手に見せるスイング、走塁、独特のたたずまいはあの頃と変わらない。悔しいくらいにかっこいいままである。