【プロレス蔵出し写真館】〝東洋の巨人〟ジャイアント馬場が亡くなって26年がたとうとしている。命日の1月31日には、後楽園ホールで追善試合が行われる。
さて、今から43年前の1981年(昭和56年)8月9日、馬場が東京・虎ノ門にあるホテルオークラ内ヘルスクラブでのトレーニングを公開した。この施設は、馬場が恵比寿の自宅マンション地下倉庫にトレーニングルームを作るまでよく利用していた。プールが併設されているのを気に入っていた。
この日はフィットネス器具を使いウエートトレ、女性トレーナーに負荷をかけてもらい脚の屈伸運動で汗を流した(写真)。大きなストライドでホテルの周囲をランニングして練習を終えた。
オークラは、95年(平成7年)9月25日にデビュー35周年パーティーを開くなど、馬場にとってなにかとゆかりのあるホテルだった。
馬場の側近だった和田京平名誉レフェリーは、オークラには馬場のお気に入りメニューがあったと教えてくれた。
開業当時から提供されている「冷製ポテトスープの〝ヴィシソワーズ〟(Vichyssoise)」。
ジャガイモ、ポワロをよく炒めてミキサーでなめらかにかくはんし、牛乳と生クリームを加えた濃厚なスープだ。
和田は「馬場さんが元気なころ、オークラで飲ませてもらった。『ヴィシソワーズって何ですか?』って聞いたら、『ジャガイモのスープだよ。お前も飲んでみろ』って言われて。飲んでみて驚いた。思わず『うめぇぇ! こんなうまいものがあるんですか』って、思わず馬場さんに聞いちゃった」と回想する。
馬場は98年12月5日、日本武道館の試合を終えると、7日に東京・新宿の東京医科大学病院に検査入院した。翌99年1月31日に大腸がんの肝転移による肝不全で死去したのだが(享年61)、一時帰宅が許可され正月を自宅で迎えていた。
和田は「思い出話が出て、馬場さんが『京平、ヴィシソワーズが飲みてぇなぁ』って呟いた。『じゃあ僕、買ってきますよ』『売ってくれるわけねぇじゃないか』。そんなやり取りがあって、とりあえず水筒を持ってオークラに行った。知り合いの黒服に『実は馬場さんがホントに具合悪くて食欲がなくて、オークラのヴィシソワーズが飲みたい』って枕もとで言ってます。どうにかいただけませんか」って伝えたら、『これはホント、特別ですから』ってクギ刺されたけど、売ってくれた」と笑う。
「馬場さんは『何! くれたのか(持ってこれた)!?』って驚いてね。そして『やっぱり、うめぇなぁ』って喜んでくれた。オレもいろんなとこでヴィシソワーズ飲んだけど、一番最初に飲んだのはオークラさん。ひと口飲んだら『うめぇなぁ。高級ホテルだな』っていうインパクトはありますよ。キャピトル東急は『ORIGAMI』のコーンポタージュスープね。やっぱり馬場さん、そういうのが大したもんだなと思いますよ」(和田)
ところで、オークラのヴィシソワーズが〝燃える闘魂〟アントニオ猪木の最期の食事だったと語るのは「猪木」(辰巳出版)を上梓した写真家の原悦生さんだ。
猪木は2022年10月1日、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスで闘病中に心不全で死去した(享年79)。
原さんは「(猪木と懇意の)オークラの人が(ヴィシソワーズ)スープを持って来てくれて、私と古舘(伊知郎)さんとかと一緒に最後に食事したんです。(容態が)悪くなったんで、ご飯は食べれなかった。翌日の朝も残っていたスープを飲んだと、身の回りのお世話をしている人から聞きました。『最後に飲んだんですよ』って。実質的にそれが最期の食事になった」と明かす。
ヴィシソワーズはオークラのオールダイニング「オーキッド」で食すことができるが、持ち帰りは不可だ。プロレス界の〝2大巨頭〟に届けられたのは、病床に伏せているからこそのレアなケースだったと言える。
馬場、猪木という美食家2人の舌をうならせたのがオークラのヴィシソワーズだった(敬称略)。