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【吉田秀彦連載#29】明大・坂口征二先輩きっかけの“ルール”が改正されて無事に柔道界復帰

東スポWEB 2025年1月28日 16時18分

【波瀾万丈 吉田秀彦物語(29)】2010年4月25日の中村和裕戦で格闘技を引退しました。「これから何をするべきか」と考えていた自分に、パーク24株式会社の西川光一代表取締役社長から「社会貢献活動の一環として柔道部をつくるので監督に就任してほしい」との依頼がありました。

西川社長とはかねて知り合いで引退興行でも個人として協力していただいていました。だから「やるしかないな」とすぐに決断しました。とはいえ、ここから待っていたのはいばらの道。「柔道部をつくる」と言っても、この時点では何もない状態。「まずは人集めからだな」とゼロからのスタートとなりました。

人材をどう集めていくか。いろいろ考えましたね。まずは「軸」をつくる必要がある。その上で「パーク24柔道部」ができたことをみんなにわかってもらわないといけない。しかも、つくってすぐに「やめます」という柔道部ではないことも伝えなくてはいけない。そこが大変でしたね。

あちこちの大学を回って選手集めに奔走しましたが、できたばかりの柔道部に選手を預けようという監督はいません。ですから最初は強化選手ではない選手を取って地道に育てました。苦労の連続でしたが、今振り返るとゼロからつくり出していったころが一番面白かったですね。さらに幸いなこともありました。

自分が柔道を引退して格闘技に行った当時、プロレス、プロ格闘技に行った選手は柔道界に復帰できませんでした。それは明大柔道部の坂口征二先輩がプロレスに行ったころから、続いていたルールでした。ただ自分には釈然としないものがありました。自分の職業として選んだのが格闘技です。柔道を嫌いになってプロになったわけではない。まして、プロに行って柔道に迷惑をかけたわけでもない。ところが柔道界から追い出された形になっている。柔道界に選手の職業を選ぶ権利があるのか。そんなルールがあること自体、おかしいと感じていました。

そうした中で自分が格闘技にいた04年3月、全日本連盟が柔道界に戻れる仕組みを作ってくれていました。「プロ格闘技引退から選手なら3年、指導者なら1年たてば復帰できる」という新たなルール(※)でした。それは本当にありがたかったですね。いろいろな人が協力してできたことですから「きちんと恩返しをしないといけない」と決意しました。

そしてプロ引退から1年後、指導者登録が可能になり、11年5月にパーク24柔道部の監督に就任しました。

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