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【MLB】「まさか日本人が来るとは…」NPBでも活躍したキュラソー初の大リーガー・ミューレンス氏と現地対面!

東スポWEB 2025年2月3日 11時4分

【元局アナ青池奈津子のメジャーオフ通信】キュラソーで迎えた新年2日目。エメラルドグリーンの海が目の前に広がるマンボービーチのカフェバーで1人、午前中に参加したイルカと泳ぐツアーの興奮が冷めず、ピニャコラーダと炭火焼きチキンに舌鼓を打ちながら「何て楽園に来たんだ」などと浸っていたところ、携帯の通知を見逃していたことに気づく。

レストラン名とともに「午後2時、ここに来られるか? ヘンスリー・ミューレンス」。ダメもとで知人を伝ってお願いしていたインタビューを受けてくれるというのだ。時計を見ると2時まであと15分。慌てて塩まみれの髪のまま飛び出したが、島がコンパクトで助かった。島民に言わせると、観光業で交通量が増え「渋滞している」というが、中心地にいれば主要なところへは15分前後で行けてしまう。

5分遅れで滑り込んだ店内で、ヘンスリーが「アイランド・タイム(島時間)を知ってるかい? 君は早いくらいだ」と笑いながら選手時代に覚えた日本語「ワタシハ、ヘンスリー・ミューレンスデス」で迎えてくれた。キュラソーから初めて大リーガーになった人であり、日本でプレーしたキュラソー人も彼が初めてだ。

「キュラソー・ベースボール・ウィーク(CBW)に来たんだって? ごめんね。僕がベネズエラのチームの監督をしていてプレーオフに進出したから、スケジュールが読めずに直前でキャンセルしたんだ。その直後に負けちゃったんだけどね。いつもだったら里帰り中の選手たちやゲストらと野球教室をしたり、チャリティーで忙しい。まさかそこに日本人が来るとは思ってもいなかったよ」

そうなのだ。キュラソーに来るにはロサンゼルスからも直行便はなく、日本からだとニューヨークに飛んで乗り換えたり、人によってはオランダ経由。1日をかけても着くか着かないかという遠さで、旅行にお薦めするには難儀な場所なのだ。でも、その価値は十分にあると思う。

そんな世間話をひと通りした後で「キュラソーから野球選手がたくさん出ている理由を知りたいんだって? それがさ、僕にも分からないんだ」とヘンスリー。「僕の時代はね、プロ入りしてしまうと、島でメインだったアマチュアのメンズリーグへの出場権を失ったんだ。過去の成功例もないし、野球ができなくなるのも嫌だから、挑戦する人もまれ。オランダへ行き大学を出て就職するのが理想とされていたから、僕も体育の先生になるつもりだった」。

ヘンスリーの運命は体が大きくパワーがあったこと、ゴッドファーザー(代父)の同級生に大リーグのスカウトがいたことで変わった。ヘンスリーを見に来るように説得したことで、キュラソーの野球史が動き出した。

「現在までで17人。約15万人という人口に対して最も多くの大リーガーを輩出しているけど、島にある野球場は21個。決して良い環境とは言えないグラウンドも多いし、特別なトレーニングもない。子供たちも学校終わりに週2回程度、仕事帰りのボランティアのコーチと1~2時間練習するのがほとんどで、そこまで試合があるわけでもない。だから謎なんだよ」

半分は本気で、半分は謙遜なのだろう。ヘンスリーが開いた突破口で何十人もの野球青年が海を渡り、夢を追いかけるようになったし、彼ほど島の野球の普及に尽力した人もいない。

「島の球場をいくつか見ておいでよ。ちょうどリトルリーグのトーナメントもやっているから」

そんなヘンスリーの言葉に導かれて、キュラソーの球場で再会したのがアンドレルトン・シモンズだった。

☆ヘンスリー・ミューレンス 1967年6月23日、オランダ領キュラソー出身。アマチュアFAで85年にヤンキース入りし、89年8月にメジャーデビュー。94年に「ミューレン」の登録名でロッテに入団。NPB初のオランダ人助っ人が誕生した。95、96年はヤクルトでプレーし、3年連続で20本塁打以上を記録。空振りも多く、ヤクルト時代は2年連続で三振王となった。2013年からオランダ代表監督を務めている。

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