【平成球界裏面史 近鉄編90】野球選手としては高く評価してくれた球団と契約することが当然だろう。平成15年(2003年)オフは近鉄との契約交渉で決裂。タフィ・ローズは平成16年(04年)から巨人でプレーすることになった。
移籍初年度から華々しい活躍だった。落合博満以来、史上2人目で勝つ、外国人選手としては史上初の両リーグでの本塁打王を獲得。パ・リーグからセ・リーグへ移籍しての年またぎの2年連続本塁打王も史上初という快挙だった。
ただ、シーズン中に古巣の近鉄がオリックスとの合併を計画し、すでに進行していると発表。ここから球界再編騒動へと発展していくわけだが、ローズとて人ごとではなかった。
巨人の選手としてプレーに集中することが仕事とはわかっていても気にはなる。30億円とも40億円とも言われた近鉄球団の赤字問題に関しても、おとこ気のある考えを示していた。
近鉄バファローズを救うために自腹で1億円を用意すると。さらに、数億円の年俸を稼いでいる仲間もそれくらいの気概があるという旨の発言を残している。
だが、これは近鉄という大企業の問題であり個人が数億を集めても解決には至らないことは明らかだった。もとより近鉄グループは不採算部門を廃止することを、自ら進んで行っていたため、消滅へ淡々と手続きを進めていくだけであった。
辛うじて10球団1リーグという構想は実現しなかった。近鉄が他の企業に球団を譲渡して12球団維持ならわかりやすかったのだが、合併球団の誕生は既成事実で11球団が残るため話がややこしくなった。
新しく球団を設立する流れとなったのだが、それが現存する楽天イーグルスなわけだ。当時のローズが積極的に合併問題にコメントすることはなかったが、元チームメートや関係者には「去年は俺が近鉄を離れて寂しかったけど、今度は球団がなくなるってどういうこと? 何とかならないの」と漏らしていたそうだ。
そんな中でも自身はしっかり結果を残して巨人での1年目を最高の形で終えた。そして平成17年(05年)シーズンへ向けてはFA権取得のため、外国人枠の適用外となる節目の時期を迎えていた。
近鉄時代の1年目から通訳として支えてくれた藤田義隆通訳が考案してくれた「狼主」(ローズ)という漢字の当て字を、本気で登録名にしようと考えていた。野球人生を巨人で終えて引退するとの考えも持っていたほどだ。
だが、物事はそんなに全てがうまくは運ばない。平成17年(05年)のローズはとんでもない経験を味わってしまう。日本で長年プレーを継続し、周囲からは丁重に扱われることが当たり前になっていた。そんな中でおごりが出たのかどうかは定かではない。
いい意味でも、悪い意味でも目立ってしまう巨人でローズはやってはいけないことをやらかしてしまうことになる。