【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(1)】現在も現役ボクサーとして活動する高野人母美(37)が半生を振り返る「モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白」がスタート。177センチの高身長モデルとして活躍する傍らプロボクサーとしてデビューした。異例ともいえる二足のわらじのほか、計量パフォーマンスやあまたのお騒がせ行動でも話題となった。まずは幼少期の記憶をたどる。
出身は東京の下町で1987年6月12日生まれです。その後(岐阜の)飛騨高山の方に移ったんですね。そこからいろいろなところを転々としまして、また東京に戻って幼稚園に入った4、5歳くらいからは自分の記憶があります。そのころから水泳をやっていました。というか、やらされたと言った方がいいかもしれません。
父が元選手で、母がコーチと両親が水泳関係だったから、やらせたかったんだと思います。どうやら生まれて間もないころから、プールや海で泳がされていたみたい。父なりの考えがあったそうで、いつ何が起こるかわからないから、どうやって生き抜くかの知恵を教える意図があったそうで、その一つが水泳でもありましたし、父が持っていた船で釣りをしながら釣った魚をどうさばくかなんかも教えてくれました。素潜りで貝の捕り方も習いました。
だからかもしれません。水泳が楽しかったとかはなくて「生きてくためなんだろうな」というぐらいの感覚。呼吸するような感じです。毎日のルーティンのようなものでした。水泳の大会に出たこともあるんですけど、詳しく覚えていないんですよ。
水泳と並行してサッカーもやってました。始めたのは幼稚園のころで小学生の時には、厳しすぎる練習だったので記憶に残っています。女子のチームではなくて男子と一緒でした。水の中だけじゃなくて、陸上でも持久力をつけて生き抜く力をつけさせる意図があったのかもしれません。
だから、なかなか練習を休ませてもらえませんでした。女子一人だったのでパスもくれないですし、男子からは「お前、マジで邪魔だよ」とか結構言われました。合宿では走り込みをずっとやらされました。今じゃ考えられないのですが、練習中に水を飲むのもNGでした。あり得ないですよね。
サッカーは嫌な思い出しかないですけど、今思えばメンタル的なものを強くさせてくれたというふうには解釈しています。大変だったサッカーは小学生の間は続けました。母も厳しくてやめられなかったというのもありました。
通っていた小学校ではムードメーカー的な存在でした。やっぱみんなを盛り上げていきたいという感じ。今に通じるものがありましたね。こうして大変な思いもしながら、真っすぐに成長していった小学生時代でしたが、中学生になると、少しずつ、やんちゃな道に進んでいくことになっていくのです。