【橘高淳 審眼(1)】プロ野球の長きにわたる歴史の中で多くのスター選手が輝きを放ってきた。その陰で試合進行を支える存在がいたことを忘れてはならない。NPB審判員として実に3001試合に出場。2022年まで38年もの間、グラウンドに立ち続けた橘高淳氏(62)が貴重な経験を寄せる。
阪神タイガースOBであり、NPB審判員を1985年から2022年まで務めさせていただきました橘高淳と申します。熱心な野球ファンの方でしたら、スコアボードに表示される名字を記憶していただいているかもしれません。このたび、東京スポーツ様からご依頼をいただき、当欄を担当させていただく運びとなりました。読者の皆さま、どうぞよろしくお願い致します。
審判という仕事はあくまでも裏方です。試合がスムーズに進行して当たり前。その存在は空気のごとしです。現在でこそリクエスト制度が導入され、ジャッジによる混乱が起こるリスクは減りました。ですが、トラブルが起きると一気に矢面に立つのがアンパイアという仕事です。
陰の存在が雄弁に語ることには正直、抵抗がありましたが、こちらで私の経験をお伝えすることで、野球ファンの方々に貢献できるならという思いで引き受けさせていただきました。
さて、ここからはグラウンド上の話に移らせていただきます。私の審判員人生で最も印象に残っている試合からお話ししていくことにしましょう。
あれは私にとって審判1年目、85年の公式戦デビューの試合でした。ウエスタン・リーグの試合です。今はもう姿を見ることができない西宮第二球場。現在の阪急西宮北口駅から直結のショッピングモール、西宮ガーデンズの向かいにあった球場です。そこで阪急ブレーブス対…相手は忘れましたが、三塁塁審を担当しました。
当時、ナイター以外の二軍戦の審判は3人制でした。そのため、3人のフォーメーションをしっかり頭に入れて動くわけです。現在の一軍公式戦では4人制ですよね。昔から野球をご覧になってきたファンの方々には6人制の記憶もあるでしょう。球審と各塁審と左右両翼の外審(線審)ですね。今でも日本シリーズなどのポストシーズンで見ることができます。
この試合、特別に何かがあったという内容ではありませんでした。私自身、試合内容についての記憶はかなり薄れてしまっています。ただ一つ。私はボークの判定を宣告することができなかったんです。
投手がインモーション(一連の投球動作)に入ってから、動きを止めてしまうとボークです。これは野球好きの方ならイメージできる場面だと思います。テレビでプロ野球中継を見ていても、そんな場面を目撃したことがある方も多いでしょう。マウンドには右投手が上がっていましたから、三塁塁審の私は真正面から見ているわけです。なのに…。「ボーク」という言葉が口から出てこなかったんです。これが緊張というものだったんでしょうか。
しっかり見えているのに声が出なかった。その場面は走者一塁でした。球審と三塁塁審は所定の位置で、一塁塁審は二塁の前あたりに配置されていました。セットポジションに入って右投手のボークを最も見える位置にいたのが私でした。それでも、私は声を出せずプレーは流れてしまいました。声を出せなかった事実。それが私の記憶に強く残っています。