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【大相撲】引退した照ノ富士との思い出 秀ノ山親方が「相撲人生の中でも特別」と言う一番とは?

東スポWEB 2025年2月12日 5時5分

大相撲初場所で、横綱照ノ富士が現役を引退した。両ヒザの故障や糖尿病などの影響で、大関から序二段まで転落。そこから不屈の精神で横綱にまで上り詰め、優勝10回を重ねた。元大関琴奨菊の秀ノ山親方(41=本紙評論家)による連載「がぶりトーク」では、かつてのライバルとの「因縁の一番」を回想。土俵で戦った者同士にしか分からない葛藤と、その後に芽生えた心の変化について振り返った。

【秀ノ山親方・がぶりトーク】読者のみなさん、こんにちは! 初場所では、横綱照ノ富士が現役を引退しました。まずは力士として歩んできた14年間、本当にお疲れさまでしたと伝えたいですね。大関まで一気に番付を駆け上がった時代から、ケガで序二段まで落ちて、そこから横綱に上り詰めていく時代。本人が引退会見で語っていた「相撲人生を2回楽しんだ」という言葉が、全てを表していたと思います。

私が知っている現役時代は、照ノ富士が最初に大関に上がってきたころ。当時の印象は、形も何もなく、ガムシャラに出てくる力相撲でした。とにかく上手を取ったら強いので、警戒しながら対戦に臨んでいた。思い出の一番を挙げるなら、やはり2017年春場所(14日目)です。これは自分の相撲人生の中でも、特別な一番になりました。

私は大関から関脇に陥落した場所で、13日目を終えて8勝5敗。1場所で大関に復帰するための10勝へ、もう後がなかった。大関の照ノ富士は1敗で首位。優勝へ向けて、相手も負けられない。お互いにとっての大一番は、照ノ富士が立ち合いで変化をして、私が負ける結果に終わりました。この時は、本当に悔しくて悔しくて…。

もちろん、変化は禁じ手ではないし、自分には甘いところがあるのかもしれない。ただ、あの勝負に限って言えば、照ノ富士に対して「どうして、意地の張り合いをしてこないのか?」という思いが強く残っていて。ずっと心の中に引っかかるものを感じていたんですよ。それが、しばらくたってからあの一番の真相を知る機会があった。

テレビ番組の特集の中で、照ノ富士が「あの時はヒザがボロボロで、勝つ選択肢がそれしかなかった」と語っていたんですね。「後悔している」とも…。それを見て「ああ、照ノ富士も本当にギリギリの紙一重のところで戦っていたんだな」と思った。力士は目の前の相手と勝負すると同時に、それぞれ自分の心の中での闘いがある。安易な気持ちで勝ちにきたわけではないと知って、納得できる部分があったんです。

照ノ富士が序二段に落ちてからは、土俵で顔を合わせる機会はありませんでした。それでも、どん底からはい上がろうとする姿は見ていて胸に迫るものがあった。再びゼロからあの体をつくり上げていくことが、どれだけ大変か。相撲内容も力任せではなく、緻密に計算された相撲に変わりましたよね。心残りがあるとすれば、新たな姿で復活した照ノ富士ともう一度対戦してみたかった。

横綱となった照ノ富士が、私の引退相撲(22年10月)に出てくれたことも、いい思い出です。断髪式では大銀杏(おおいちょう)にハサミを入れてくれて「お疲れさまでした。ありがとうございました」と声をかけてもらった。ヒザの状態が芳しくない中、綱締めの実演や横綱土俵入りで花を添えてくれたことにも感謝しています。

これからは私と同じ親方の立場になる。現役時代の苦しい経験は、弟子を育てていく上でも役立つはず。大相撲の発展のために、一緒に盛り上げていきたいですね。最後に、余談を一つ。照ノ富士の引退会見で、息子さん(2歳の長男)を見てビックリしました。お父さんと顔が全く同じ(笑い)。いかにも気の強そうな子で、いつか相撲を取るところを見てみたいですね。それではまた!

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