新日本プロレス11日の大阪大会で行われたIWGP世界ヘビー級王座戦は、挑戦者の後藤洋央紀(45)がザック・セイバーJr.(37)を撃破し第12代王者に輝いた。実に9年ぶり9度目の挑戦で、ついに悲願の団体最高峰王座初戴冠。何度も負け続けてきたベテランをはい上がらせたのは、昨年2月に急死した実父への熱い思いだった。知られざる後藤家の〝親子愛〟とは――。
5502人超満員札止めの会場から巻き起こる特大の「後藤」コールに後押しされた挑戦者は、ザックの猛攻に耐え抜くと必殺のGTRを発射。最後はリストクラッチ式のGTRで栄光の3カウントを奪った。試合後のリング上には応援に駆けつけてくれた長男と次女を呼び込み「この光景よく見とけよ。これがパパが目指した光景だ」と優しく語りかけた。
キャリア22年目のベテランを支えていたのは、ファン、仲間、そして家族への思いだ。マイクを握って真っ先に出てきた言葉は「今日の勝利を、亡き父にささげます」だった。
昨年2月にヒートショックで急死した父は生前、誰よりも後藤のことを心配してくれていた。三重県立桑名工業高校電気科に入学した後藤だったが、電気工事士の家業を継がずにプロレスラーになることを決意。国士舘大学卒業後に新日本プロレスに入門した。父は反対こそしなかったものの、デビュー後も口癖のように「いつまでもできないんだから早く(桑名に)帰って来いよ」と声をかけてきた。
会場に観戦に来てくれたのも、2003年7月のデビュー戦(岐阜)を含めて2~3回しか記憶にない。「応援なんかされたことないし、ほめられたことないし、常に心配されてたんですよね。だからIWGPチャンピオンになったんだっていうのをずっと見せたかったんです。結果で返したかったので」。しかしその願いはかなわないまま帰らぬ人となった。
実は父は後藤が大学入学と同時に、数百万円の保険金を一括払いでかけてくれていた。後藤は「亡くなった後にそれが分かって、遺産として俺が受け継いでます。もし息子がプロレスラーになったら大ケガするかもしれないし、死ぬかもしれない。危険の多い仕事だからと思ったんでしょうけど、3人きょうだいで俺にだけにかけてくれてたんです。自分も親となった今となっては、親父の気持ちがすごく分かるというか」と代弁する。
何事を成し遂げるにも、遅すぎるということはない。〝遺産〟の存在で父からの愛情を再確認した後藤は、生きているうちに見せることができなかったIWGP王者という目標に向け、再び奮起するようになる。昨春の「NEW JAPAN CUP」からシングルトップ戦線に舞い戻り、そして父の死から1年後、とうとう憧れ続けたベルトを手に入れた。リングの上で後藤は「親父! 取ったぞ!」と魂の叫びとともに天を見つめた。
「誰よりも心配してくれていた親父なので。今の姿を見て、安心してほしいですよね。それが一番の思いです」。苦難を乗り越え日本一のレスラーになった息子を見て、天国の父はきっと誇らしく思ってくれているはずだ。