2月11日は野村克也氏(享年84)の5回目の命日だった。この日は沖縄・浦添で春季キャンプを行っているヤクルトが野村元監督と、7日に他界した衣笠剛球団代表取締役会長CEO兼オーナー代行(享年76)をしのび黙とうをささげた。阪神・野村克則バッテリーコーチ(51)は、その事実を知り「いつまでも忘れずにいてもらえることはありがたい」と感謝の意を示した。
偉大な父を持つ野村コーチは当然、直々に授かった「野村イズム」を継承し若虎と向き合う日々を送っている。
ヤクルト、阪神では選手と監督の関係。楽天では選手、コーチと監督として同じユニホームをまとい父子で戦った。捕手として世界初の3冠王に輝くなど通算2901安打、657本塁打、1988打点(いずれも歴代2位)。監督として歴代5位の1565勝を誇る希代の名将の息子である事実は過大な重圧だった。だが「カツノリ」はその苦悩をも糧とし、現役と指導者で27年間に亘り球界で戦い続けている。
野村コーチはヤクルトで現役3年目だった1999年、入団初年度以来となる一軍出場なしに終わった。当時のヤクルトは野村監督から若松勉監督にバトンタッチ。阪神監督は父・克也氏が務めていた。球界では阪神移籍のウワサが飛び交った。そんな時、筆者の直撃取材に対応したカツノリは「野球選手である以上、必要とされるなら12球団どこでだってプレーする準備はできている」と気丈に話した。
そして00年にトレードで阪神に移籍。01年には2度のサヨナラ安打を記録し甲子園のお立ち台に立った。若かりし日のカツノリは「甲子園の打席に立ってみろよ。360度の阪神ファンが自分のことを応援してくれてるんだぜ。プロ野球選手としてこれ以上、幸せなことってあるか」と、虎の一員として最高の舞台も経験した。
時は巡って2025年。カツノリは一軍の野村バッテリーコーチとしてタテジマに身を包んでいる。新監督は98年ドラフトで父・克也氏がドラフト1位で指名した藤川球児。こんな巡り合わせはテレビドラマでもそうは成立しない。
野村コーチの胸に刻まれている「野村イズム」。これを最大限に発揮し藤川阪神をサポートする。偉大な父の命日に際し決意を新たにしたに違いない。