Infoseek 楽天

「貨物」じゃないよ「荷物車」の系譜 なぜ鉄道でいろいろなモノを運ばなくなったのか?

乗りものニュース 2024年6月28日 7時12分

鉄道はその開業以来、乗客だけではなく「荷物」を運ぶ手段でもありました。現代には「貨物車(貨車)」はありますが、「荷物車」は見られません。両者は何が違うのでしょうか。

親和性の高い鉄道と郵便

 鉄道は旅客のほか、タンク車やコンテナ車に代表されるように大きな貨物を運びますが、かつては郵便物などの「荷物」も運んでいました。しかし現代ではまず目にする機会がありません。
 
 日本の鉄道が始まったのは1872(明治5)年。新橋~横浜間に開業した最初の鉄道は、横浜港に到着した各地からの旅客が鉄道によって東京に移動するという、大きな交通網の一部となっていました。近代的な郵便制度が始まったのは前年で、全国に普及し始めたのが鉄道開業と同じ年ですから、「郵便により荷物だけを送る」ことは簡単ではありませんでした。

 ちなみにヤマト運輸の宅急便の開始は1976(昭和51)年ですから、もちろん存在しません。つまり、当時の旅行者は荷物を大量に持ち歩いていました。そして前述した通り、郵便制度の普及と鉄道の始まりはほぼ同じですから、最初から鉄道は荷物と郵便を輸送していたわけです。

 鉄道創業時、乗客の荷物は緩急車と呼ばれる編成後端の車両で輸送していました。もちろん「荷物だけを送りたい」という需要もありましたから、当初より鉄道郵便も制度化されていたわけです。1887(明治20)年には下等客室と郵便室を備えた合造車(形式記号ハユ)が登場します。形式記号は1900(明治33)年、「客貨車検査及修理心得」により正式に定められました。

 荷物は「ブ」、郵便は現在と同じ「ユ」で、当時はボギー台車だと「ボ」がついて区別されました。手荷物緩急ボギー車なら「ブボ」、郵便緩急ボギー車なら「ユボ」となるわけです。ただ、荷物車の記号は1920年代には、今と同じ「ニ」と変わります。

「貨物」と「荷物」は違う

 なお荷物車は貨物を運ぶ「貨車」とは違う扱いでした。これは「旅客列車の乗客の荷物を運ぶサービス」として、旅客列車に連結されたのが荷物車だからです。例えば1960(昭和35)年まで運行されていた、昼行特急列車の客車は編成端に半室荷物室が設けられており、乗客の荷物を預かっていました。JR東日本や大井川鐡道で動態保存されているオハニ36形には、そうした目的に使われるための半室荷物室が、今も存在します。

 後に「ブルートレイン」と呼ばれる寝台特急列車にも、電源車に半室荷物室が備えられました。こちらは乗客の荷物ではなく新聞輸送用でした。現在でも秋田県小坂町の宿泊設備「ブルートレインあけぼの」の電源車カニ24形500番台に半室荷物室が現存しますが、施設維持の関係で、荷物室に発電機が設置されています。

 さて、当時の貨物列車は1両ごとに貸し切られ、用途ごとに様々な貨物を運んでいました。冷凍車、家畜車、活魚車など、用途別の車種も存在しました。現在では「コンテナ」で貨物の種類に合わせた輸送が行われています。

 こうした業者の貸切による大規模な貨物を運ぶわけではない荷物車は、特に地方路線では合造車として多く見られました。現存するものだと、一般客室と荷物室を持つデハニ50(一畑電車)、スロニ201(大井川鐡道・現役。ただし、荷物室は客室化)や、郵便車と荷物車を1両にまとめたスユニ50形(小樽市総合博物館)、一般客室と郵便車と荷物車を1両にまとめたオハユニ61形(碓氷峠鉄道文化むら)、キハユニ25形(小樽市総合博物館)などです。

 当時の旅客列車や荷物列車は夜行列車として走ることも珍しくなかったため、スユニ50形の車内には寝台設備や居住設備が設けられていました。合造車の中でも郵便車は、言わば「走る郵便局」であり、郵便を仕分ける機能を車内に備えていました。郵便の量が多い幹線では1両まるまる郵便車ということもあり、のと鉄道の能登中島駅で保存されているオユ10形がその例です。

首都圏でも見られる新聞輸送

 前述した通り荷物列車は「旅客列車に併結される荷物輸送設備」でしたが、荷物の積み下ろしが旅客列車の遅延を招く問題があり、1960年代より一部の輸送を自動車化したり、旅客列車から荷物車を外して、荷物専用列車を運行したりしました。もはや貨物列車と何が違うのかという列車です。

 国鉄は1966(昭和41)年に旅客部門と貨物部門を分離するも1974(昭和49)年に再び統合し、1985(昭和60)年には荷物と貨物を一元化して分離と、経営の都合で迷走するのですが、翌1986(昭和61)年に郵便・荷物輸送そのものが廃止され、郵便・荷物車自体が不要となります。

 50系客車の荷物車マニ50形などには1982(昭和57)年製造のものもあり、これは4年半しか使われていませんでしたが、大半が廃車されています。なお、マニ50形2186号は電源車に改造され、現在でも豪華列車「ロイヤルエクスプレス」が非電化区間を走る際に連結されています。

 また、寝台特急での新聞輸送と「ブルートレイン便」と呼ばれる一般向け荷物輸送は、この時点では廃止されませんでしたが、1990~2010年代の列車廃止で消滅しています。

 2024年現在、荷物列車は廃止されて存在しませんが、1994(平成6)年に運行開始した関空特急「はるか」には荷物室が設置されて、訪日客の荷物を京都駅で預かり、関西空港まで送るサービスが行われていました。このサービスはアメリカ同時多発テロ事件を受けて、空港以外での手荷物検査を認めなくなったことで2002(平成14)年に廃止されています。

 なおJR高崎線や宇都宮線の一部列車では、営業車両を区切って新聞輸送をしているなど、ごく限定された範囲での荷物輸送が行われています。郵便輸送については、JR貨物が航空禁制品や、速達性を必要としない郵便物をコンテナ貨物列車で輸送しています。

この記事の関連ニュース