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「史上最悪の作戦」インパールを走ったトラックの車種は? 4WDじゃない!? 泥濘を駆けた“輸送任務”の実態

乗りものニュース 2024年8月29日 18時42分

史上最悪の作戦といわれるインパール作戦から生還した祖父。遺した手記をもとに、自動車部隊として従軍したときの様子に前後編で迫ります。後編では具体的な車種を挙げ、作戦における兵士からの評価にも着目します。

「トラック」実際はどんな車種だった?

 50年に一度の雨季のさなかに強行されたインパール作戦。独立自動車第101大隊(101大隊)所属の祖父は、毎日泥濘化した道と戦いながらトラックを運転していました。

 その話を聞いた筆者(吉永陽一:写真作家)は、ジャングルの泥道を走るのだから四輪駆動車だと思い込んでいましたが(祖父はトラックとだけしか述べていなかった)、手記でほかの方のページを読むと、どうやらそうではないのです。
 
「雨季に入った密林の中、脛まで届く泥濘では、内地から送られてきた年式の古い後輪駆動の自動車は、もはや動けるものではない」
「まして自動車は登り坂になると、後車軸のデフが泥に食い込み、チェーンをつけても車輪は空回りするだけで(中略)最前線への補給も果たせない始末だった」

 これらの記述からするとFR車だったようです。101大隊は国内で動員完結したとき、乗用車18、貨車(トラック)196、修理車4の計218台で、トラックは民間から徴用した1937年式、38年式、39年式のGMシボレートラックが大部分でした。ある隊員曰く、別名を“シボレー部隊”と呼称したほど、民間徴用のシボレートラックがかき集められたのです。

 作戦を見越して編成された自動車部隊には、国産軍用トラックではなく徴用車で占められた隊もあり、101大隊もその一例だったといえましょう。

鹵獲した車両を改造 手記には「ジープ」の文字

 日本でトラックは、関東大震災直後の復興から急速に必要となり、輸入車が格段に増えていきました。フォードとGMは日本市場の開拓を睨み、国との思惑が合致するかのように、フォードが1924(大正13)年、GMが翌年に日本法人を立ち上げ、日本での生産と販売を開始。国産車やヨーロッパの輸入車と比較して、フォードとシボレーの品質は安定して安価で、かつ性能も良く、あっという間に国内へ広まります。

 軍用も性能が良いクルマに越したことはなく、有事に数が揃えられるフォードとシボレーを徴用し(購入もあったという)、満州事変や1933(昭和8)年の熱河作戦に投入しました。

 一方の国産車は、1918(大正7)年に軍用自動車補助法が制定され、国内メーカーは陸軍の要求に沿った性能のトラックを開発しながら発展。平時は民間で使用しながら、有事の際に徴用できるものを世に広めていきました。

 代表的なものは、いすゞTU10型(九四式6輪自動貨車)やTX80型(一式四輪自動貨車)、日産80型/180型、トヨタKB型です。とはいえ、四輪駆動や六輪駆動車は機構も複雑で、少数生産か試作に留まりました。

 ところで、手記には「ジープ」「3/4屯トラック」の記載が散見されます。これらの自動車は連合軍が遺棄した車両を捕獲した鹵獲車です。若干修理したり複数台を1台に仕立て直したり、部隊で使用しやすいよう改造を施した自動車もありました。

 行動概要記録では、「昭和19年4月中旬、第33師団がトンザン、シンゲル付近で捕獲したる敵英軍第17師団のジープ及び3/4屯トラック約60輌を在テイデム自動車廠松崎部隊より受領」とあり、3/4屯トラックは「CMPトラック」と思われます。このトラックは4輪駆動タイプも存在し、フォードとGMシボレー製でした。

 なおほかの自動車部隊でも、ジープやトラックを大量に鹵獲していました。日本から輸送してきた徴用の商用トラックよりも、現地調達した鹵獲車のほうが性能的に優れて重宝したようです。イギリス軍と戦いながらイギリス軍車を捕獲して重宝する、なんとも皮肉なことです。

 詳しくは、「乗りものニュース」の『祖父は「インパール作戦」を生き延びた〈後編〉 泥地獄を走った「トラック」は四駆ではない!? 敵のジープに愕然と羨望』に掲載しています。

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