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戦後最悪の台風! 初の自衛隊と米軍による共同作戦 その経験が「トモダチ作戦」を生んだ?

乗りものニュース 2024年8月31日 7時42分

太平洋戦争後の自然災害として、東日本大震災や阪神淡路大震災に次ぐ犠牲者数を出した伊勢湾台風。当時はまだ警察や消防などにヘリがなかったため、自衛隊と米軍が頼りでした。戦後屈指の救助活動について振り返ります。

戦後3番目の被害規模だった伊勢湾台風

 2024年8月28日現在、非常に強い勢力で日本列島に向けて北上している台風10号。九州南部に上陸したのち、列島に沿う形で西から東へ向けて進むと予想されています。全国各地で警戒が強まるなか、早くも愛知県などでは自衛隊に対して災害派遣要請が出され、活動が始まっています。

 第2次世界大戦後に起きた台風災害で被害が最も大きかったのが、いまから65年前に起きた「伊勢湾台風」です。2011年の東日本大震災、1995年の阪神淡路大震災に次ぐ犠牲者数を記録しており、自衛隊も三重県や愛知県を中心に延べ73万人が救援活動に従事、昭和期最大級の災害派遣事案となりました。

 陸海空の3自衛隊が発足したのは1954年7月1日なので、それからわずか4年後に起きた未曽有の大災害ということになります。いうなれば、当時の自衛隊の総力を挙げて行われたといっても過言ではない一大オペレーションを、改めて振り返ってみましょう。

 いまでこそ「伊勢湾台風」の名で知られますが、そもそもこの台風は、1959(昭和34)年9月21日にマリアナ諸島沖で発生し、当初は「台風15号」と呼ばれていました。
 
 それから5日間かけて北上してきた台風15号は、9月26日に本州最南端の地である和歌山県潮岬に上陸すると、非常に強い勢力を維持しながら、紀伊半島や東海地方を中心に本州の東半分を縦断。全国に甚大な被害をもたらします。

 特に伊勢湾周辺では、満潮の時間帯と重なったため、沿岸部に深刻な高潮被害を出しました。だからこそ、愛知県と三重県でとりわけ被害が大きくなったといえるでしょう。

自衛隊の指揮下に米軍部隊を編入

 愛知県知事は上陸初日の9月26日に、陸上自衛隊第10混成団(現:第10師団)に対して、災害派遣を要請しています。

 実は台風が到来する前から愛知県庁に連絡員を派遣していた第10混成団。今も続く自治体への連絡員の派遣は、この頃からすでに行われていたのです。

 しかし、当時約4500名いた第10混成団の隊員だけでは到底対応できない規模で被害が出始めていたため、第10混成団は被災地全域に部隊を派遣することができません。

 加えて当時は、担当管区(現:方面隊)内での出来事は、当事者となる部隊で対処するという暗黙の方針が陸上自衛隊内にあったことや、予算の問題などもあり、全国の部隊に応援を求めることを当初しなかったのです。

 こうした状況を打開し、一刻も早く被災者を救助するため、団本部のある守山駐屯地に設けられたのが「自衛隊中部地区災害対策本部」でした。

 この対策本部と当時の防衛庁長官などによる指示によって、自衛隊史上初となる陸海空統合の災害派遣が行われます。その動員数は最大時で100個部隊、約1万2千名が活動に従事しています。

 また、これと同時に行われたのが、在日米軍による協同救助活動です。たとえるなら東日本大震災時の「トモダチ作戦」の元祖ともいえる救助活動でした。

 発端は、愛知県知事が名古屋駐在の米国総領事を通じて、当時小牧基地に配置されていたアメリカ軍部隊に救助部隊を送るように要請したのがきっかけです。

 ただ、アメリカ軍は日本側との意思疎通が難しいと判断。そこで当時、小牧基地に所在していた航空自衛隊第3航空団の副司令官に、米軍側の指揮を執らせることを決めました。当時としては、異例中の異例といえるでしょう。なぜなら、前述したように、自衛隊は発足からまだ4年ほどと日が浅く、明らかにアメリカ軍と比べても経験、人員数ともに充実しているとは言い難い状況だったからです。

 それでも、在日米軍は航空自衛隊の指揮下に入ることを厭いませんでした。こうして、日米共同での一大オペレーションが開始されます。

米軍空母も救援に参加

 アメリカ海軍は、対潜用のヘリコプター母艦へと艦種変更されたばかりの空母「キアサージ」を救援作業に投入し、計21機のヘリコプターが被災地へと投入されています。

 なお、このときアメリカ軍のヘリコプターには航空自衛隊の戦闘機パイロットが通訳として同乗したとのこと。また「キアサージ」はヘリコプターを派遣しただけではなく、乗員たちが被災者のための寄付や募金活動まで行い、伊勢湾台風の被災地に多大なる貢献を果たしたそうです。

 こうした救援活動が功を奏し、日米のヘリコプターは家屋の屋根に避難していた住民など約7000名を助け出しました。

 この他にも、在日米軍部隊は救援物資をアメリカ本土から輸送するなどの支援も行っています。今も続く日米共同の災害派遣は、この時からスタートしていたといえるでしょう。

 それから約半世紀が経った2011年3月、地震による大津波によって壊滅的な被害を出した東日本大震災でも、再び日米共同での一大オペレーション「トモダチ作戦」が実施されたのは、記憶に新しいところです。

 災害大国といわれる日本。伊勢湾台風や東日本大震災をはじめとして、毎年のように起きる災害派遣を教訓に、自衛隊は常に進化し続けています。このたびの台風10号でも、あらかじめ県庁や市役所などに連絡要員を派遣するなど、動きが見られます。

 災害は起きないに起こしたことはありませんが、万一起きた際は速やかに活動を開始し、被害を最小限に食い止めることが肝要です。そのための活動を、今も昔も変わらず自衛隊と米軍は行っているといえるでしょう。

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