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電車が走っていた「名古屋城のお堀」いまも妙に線路っぽいぞ…? 市街ど真ん中 鉄分たっぷり廃線跡だった!

乗りものニュース 2024年9月7日 7時12分

名鉄瀬戸線はかつて名古屋城の外堀を走っていました。廃止から半世紀近くが経過しますが、その廃線跡は眺めやすく、廃線跡巡りにピッタリです。

「瀬戸電」こと名鉄瀬戸線、昔は栄町起点じゃなかった

 名古屋市の栄町駅と瀬戸市の尾張瀬戸駅を結ぶ名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線は、他の名鉄線と接続しない孤立した路線です。栄町~清水間は地下を走行しますが、このような形態になったのは1978年8月20日から。それ以前は、現在の栄町駅から直線距離で1.6kmほど北西にあった堀川駅を起点にしていました。

 そこはなんと名古屋城の外堀の中。瀬戸電気鉄道を前身とし、「瀬戸電」の愛称で親しまれる瀬戸線は、外堀を走って尾張瀬戸駅へと向かっていました。外堀区間は廃線から半世紀近い時が経過していますが、沿線をたどってみると想像以上に「鉄分」を嗅ぎ取ることができます。

 廃線跡巡りは東大手駅の北約200m、瀬戸線が高架から地下へと潜るポイントからスタート。瀬戸線側に背を向けると、名古屋城外堀の中へのアプローチが目に入ります。外堀と歩道の境には、名鉄沿線で見かける青く塗られた金属製の柵が続いています。名鉄の旧社章が彫り込まれた境界標も見つけられ、廃線跡であることが実感できます。外堀の中を見ると、堀の底と並行して歩道のような空間があることも分かります。

 スタート地点から南へと歩を進めると、東大手駅を通り過ぎたところで、外堀は出来町通と直交します。さらに南下し、上空に名古屋高速が走る外堀通りと交わる市政資料館南交差点付近で外堀は直角に折れ曲がり、西へ延びていきます。

 線路が敷かれていたころは、ここで通称「サンチャインカーブ」と呼ばれる大カーブを描いており、撮影スポットになっていたようです。

 水のない外堀の中は手入れが行き届いています。作業用車両が行き交っているようで、タイヤの轍も見て取れ、それが線路のようにも見えます。現役のころを知る人もそうでない人も、当時に思いを馳せながら廃線跡を眺められるでしょう。

「自然に還った」廃線跡も

 進路を西に取り、さらに歩みを進めると、名古屋市交通局の基幹バス2号系統や名鉄バスが行き交う大津橋交差点に到着。ここにはかつて大津町駅が設けられていました。名古屋市電との乗り換え駅で、多くの人々に利用されていたそうです。ここには当時使われていた駅の改札へと至る階段が残されており、往時を忍ばせます。

ここまでしっかり手入れがされていた外堀の中ですが、大津町駅跡からは一転して、草木が鬱蒼と生い茂るように。じつは外堀区間が現役だった1975年に、外堀の中でヒメボタルの生息が確認されたのでした。現在ではヒメボタルの保護のため、大津町駅跡から堀川駅跡までは、ほぼ自然に還っているような状況です。

 さらに西へと進み、やがて道路の高さが外堀の底と揃う場所に到着。ここが堀川駅跡です。以前は駐車場でしたが現在は立ち入り禁止に。その前には「かつてここから見た瀬戸電堀川駅」という看板が立ち、当時の歴史を今に伝えています。

 名古屋城の外堀区間は、名古屋市内のど真ん中にありながらも開発を免れたため、廃線遺構が残り、自然も溢れていて散策するのにピッタリといえるでしょう。

 瀬戸線を知りたければ、終点の尾張瀬戸駅から徒歩5分の「瀬戸蔵ミュージアム」もオススメ。かつて瀬戸線で活躍した電車モ754や、尾張瀬戸駅の旧駅舎のレプリカが展示されており、一見の価値ありです。

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