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クルマが「跳ねる! 踊る!! 犬のおしっこポーズまで!?」ド派手な動きどうやってるの? 一時は消滅の危機も

乗りものニュース 2024年9月29日 18時12分

野外イベントなどでボディが上下動したり、3輪走行したりする派手なボディカラーのクルマを見たことはないでしょうか。これは、アメリカ西海岸で生まれた自動車文化「ローライダー」というもの。なぜこのような動きが可能なのでしょうか。

繁華街で見かけるド派手カスタム「ローライダー」

 東京の渋谷や大阪の心斎橋などといった都市部の繁華街、あるいは横浜の大黒パーキングエリアのような人やクルマが集まる場所に行くと、ひと昔前のアメリカ車ながら、派手なカラーリングのボディに、小径のタイヤを履いて車高を地面スレスレまで下げた改造車を見かけることがあります。

 このようなクルマは「ローライダー」と呼ばれるカスタム車で、基本的には1950~1990年代に作られたアメリカ製のフルサイズ車をベースに、車高を限界までローダウンし、車体サイズと比べると極めて小径のタイヤを履き、ボディは極彩色にリペイントしているのが特徴です。

 発祥は1940年代の南カリフォルニアで、もともとは「チカーノ」と呼ばれるメキシコ系アメリカ人の若者たちの間ではやったカスタムでした。彼らは場合によっては不法入国者であることも多く、ゆえに満足な収入を得られなかったことから裕福な白人のように新車を買うことができませんでした。

 そこで、格安で入手した中古車を改造して、新車に負けないゴージャスなカスタムを施します。彼らはスピードには興味がなく、派手で目立つカスタムカーで街中をゆっくりとクルージングすることを目的にしていました。

 ただ、ローライダーの中にはギャング団に所属する者もおり、チカーノの若者が改造車で跋扈することは治安の悪化につながるとの偏見も生まれたことから、カリフォルニア州政府は1958年に車両法を改正して、車高の低いローライダーの取り締まりを強化します。

 規制と取り締まりの強化によってローライダーはそのまま消え去るかと思われましたが、チカーノの整備士だったロン・アギーレが、航空機機用の油圧部品を流用してサスペンションの高さを自在に変更するシステムを発明します。これは「ハイドロリクス」、通称「ハイドロ」と呼ばれるもので、これを使えば停車時は車体が地面に着地するほど低くなるものの、スイッチひとつで走行時は車高を高くすることが可能です。

 この画期的なシステムは、ローライダーファンの間で瞬く間に広がって行きました。

法の抜け道として生まれた「ハイドロ」

「ハイドロ」の仕組みは、バッテリーで駆動する油圧ポンプをトランクなどに搭載し、足回りに油圧シリンダーを組み込みます。スイッチ操作でシリンダー内へオイルを注入・排出することで車高を任意に変更できるようになっています。

 しかもハイドロには思わぬ副産物もありました。もともと取り締まりを避けるために登場したハイドロですが、サスペンションに前後独立、あるいは四輪独立でポンプを装着していたことから、駆動用のバッテリーを増やせば、車体を前後左右に傾かせることが可能で、ユニークな姿勢をとることができるようになったのです。

 この発見により、ハイドロの油圧やコイル、シリンダー長、スイッチ操作やアクセルワークなどを活かすことで、さらには車体をリズムよく上下動させたり、コーナリング時に4つあるタイヤのうちのひとつを浮かせたり、歪なまでに車体後部を沈ませたりといったことまで行えるようになりました。

 これらは、のちに「ホッピング」や「ランニングホップ」(ホッピングしながら走行すること)、「スリーホイラー」、「ナチュラル」などと名付けられ、路上でパフォーマンスする際のワンツールにまで昇華しています。

 ちなみに、バッテリーは増やせば増やしただけ高電圧になるため、その分サスペンションに装着したシリンダーの稼働速度も早くなります。その結果、車体がより早くホップするので、より高く跳ねさせることができるようになるのです。これによりローライダーファンの間では、いつの頃からか車両の派手さを競うだけでなく、より高く、より派手なパフォーマンスを見せるマシンが称賛されるという文化まで生まれました。

世界的に見てもレベル高い日本のローライダー

 ローライダーが日本に紹介されたのは1980年代のこと。空前のバブル景気も追い風になって1990年代には人気が高まります。そして、若者の間でB-BOYや渋カジなどファッションが流行していた2000年頃がブームの頂点となりました。

 そのような日本におけるローライダーの牽引役が、愛知県長久手に店を構える「パラダイスロード」の店主・下平淳一さんです。HOTRODビルダーでもあった下平さんは、ローライダーマシンを輸入販売するだけでなく、独特の感性によりオリジナリティあふれるマシンを製作し、相次いで発表しました。

 こうして磨かれた感性と技術によって、その実力は本国アメリカのカーショーでもアワードを総なめするほどで、世界に対して日本製ローライダーのレベルの高さを知らしめるまでに至ったのです。

 その後の日本経済の長期低迷や世界的なガソリン価格高騰に加え、円安の影響でベースとなるアメリカ製ヒストリックカーの価格が上昇したことなども影響し、今では日本におけるローライダー文化は往時ほどの盛り上がりを見せていません。

 しかし、根強いファンによって人気は下支えされており、全国各地で開催されるアメリカン・モーターカルチャーの祭典には数多くのローライダーが参加。イベントによってはローライダーのパフォーマンスを競う「ホッピングバトル」などを開催してファンを沸かせています。

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