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「これ鉄道だ…」 高速道路に取り込まれた“廃線跡”今どうなってる? それは100年前の「埼玉高速鉄道」

乗りものニュース 2024年9月23日 7時42分

埼玉県内で東北道の側道の途切れた部分が、およそ半世紀ぶりに開通。それ以前の状況を航空写真で見ると、現在の東北道にはもともと「鉄道」が存在したことがわかります。それは100年前の「埼玉高速鉄道」ともいうべき存在でした。

埼玉の東北道、それ以前には「鉄道」があった

 埼玉県南部の東北道は、川口JCTから国道122号を側道として北へ延びていきます。2024年9月30日には、さいたま市内で側道が途切れていた部分が開通し、「蓮田岩槻バイパス」として全線開通を迎えます。

 埼玉県内の東北道が着工したのは1966年のこと。当時の航空写真を見ると、県南部ものどかな農村だったことが分かりますが、東北道のルートにピタリと合致するように、1本の道らしきものがあったことも分かります。

 実はこれは「鉄道」です。ただし、この当時にはすでに廃線となっていました。

 これは「武州鉄道」の跡。1924年に蓮田-岩槻間から開通し、徐々に南へ延伸するも、14年後の1938年には全線廃止となった、いわば“幻の鉄道”です。

 終点だった「神根駅」は、川口JCTの北側、県道103号線が国道122号に交わる石神交差点にありました。この場所には現在、武南警察署の神根交番が立っています。

 そこから北へ、浦和料金所を過ぎ、埼玉スタジアム2〇〇2の北側までが、東北道/国道122号に廃線跡が取り込まれた区間です。1970年代の航空写真を見ると、建設中の東北道/国道122号から北東へ逸れていく廃線跡を確認できます。

 さらに廃線跡は、目白大学の敷地内を通り、岩槻の市街地を貫通していました。武州鉄道の「岩槻駅」は東武の駅とは異なり、さいたま市立太田小学校の場所にありました。

 その後は進路を北西にとって、現在の東北道と交差し、JR蓮田駅の東口に接続していました。東北道との交差部は、新規開通する側道(国道122号下り線)が接続する「平林寺橋」交差点から800mほど北側です。

“幻の鉄道”の稀有壮大な計画

 武州鉄道は、もともと北は日光を目指していたといわれます。南は、当時赤羽に路線を延ばしていた王子電気軌道(現・都電荒川線)に接続する予定だったとか、貨物線を蕨駅へ延ばすつもりだったとも。

 もし赤羽に達していたら、現在の埼玉高速鉄道に似た存在になっていたかもしれませんが、いずれにしても資金繰りが困難となり、神根という中途半端なところで延伸が途絶えてしまいました。

 ちなみに、最後の延伸区間である武州大門―神根間に至っては、たった2年で全線廃止の憂き目を迎えています。

 それでも、岩槻では現在の東武野田線(当時は「北総鉄道」)よりも早く開業した最初の鉄道でした。このため、野田線は交差部を立体にせざるを得ず、武州鉄道が廃止されると、野田線の「岩槻町駅」は早々に「岩槻駅」へ改称し、現在に至っています。

 武州鉄道の廃線跡は、その後の開発により痕跡はほとんど残っておらず、今では航空写真でも、その跡がかなり分かりづらくなっています。

 ただ、浦和料金所の北東にある神社に、「武州野田駅」の停車場道路開通記念碑が残っているほか、埼玉スタジアム北側の「笹久保駅」跡付近では、廃線跡の道路が中古車オークション会場の車両置き場として使われているという珍しい(?)利用法も見られました。また、岩槻市街の太田小学校には「岩槻駅跡(武州鉄道)」と書かれた看板が掲げられ、その事績を今に伝えています。

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