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オトコの作業服着が発祥!「セーラー服」はなぜ女性のファッションとして浸透していったのか?

乗りものニュース 2024年11月4日 18時12分

女子学生の制服として2024年現在でも見かけることのあるセーラー服は元々、海軍に従事する水兵の制服でした。なぜこの服装が女性のファッションアイコンになったのでしょうか。

イギリス海軍の水兵服として開発

 女子学生の制服として街で見かけることも多い、セーラー服。セーラー(水兵)という言葉が示すとおり、大きな襟の付いたデザインの服は、20世紀前半までは純然たる男の職場だった海軍の水兵が着用する制服が発祥となっています。

 なぜ、海軍の屈強な兵隊たちの制服が、可愛らしい女子生徒の制服になっていったのでしょうか。セーラー服の歴史を紐解いてみましょう。

 セーラー服を最初に導入したのはイギリス海軍で、その端緒は1857(安政3)年と言われています。

 実はそれ以前のイギリス海軍というのは水兵に決まった制服はなく、艦長などの士官が海戦や航海のたびに酒場などで、今でいう半グレのような人員を徴収した際に、服も支給し水兵とするのが伝統でした。

 さすがに18世紀初頭のナポレオン戦争以降は、水兵も正規の軍人になりましたが、制服を艦長が決める伝統は残り続けていました。

 しかし砲艦「ハーレクイン(道化師)」の艦長が、艦名にちなんで、道化師の衣装を着せ大問題になったことをきっかけに制服の統一が検討されるようになります。そのとき当時の水兵の作業着などを参考に作られたものが、セーラー服の原型になります。

 実は正式採用よりやや前の、1846 年にヴィクトリア女王が4歳の息子のアルバート エドワード ウェールズ王子(後のエドワード7世)にマリンファッションの服を「セーラーズ・ドレス」と呼称して着せており、セーラー服の語源はそこからきているとも言われています。

当時最強だった英国海軍を他国も真似る

 セーラー服といえば大きな襟が特徴です。なぜあのような大きな襟を制服にとりいれたのか、そこには大きな理由がありました。まずそのひとつは、万一、水兵が海に落ちたときに役立つからです。

 大きな襟は浮きやすく、また海の中でも広がるため、船の上から見つけやすいというメリットがあります。さらに、多少乱暴ではありますが、救助の際に引っ張り上げやすいというのも利点の一つです。

 もう一点、収音機能としての役割があったのではという俗説もあります。海上のような波音や風の強い場所では、人の声はなかなか遠くまで届きません。そういった際に大きな襟を頭の後ろに立てて音を拾いやすくすることで、相手の声を拾いやすくすなるからです。

 セーラー服を採用した当時、イギリスは世界中に植民地を持ち、「日の沈まぬ帝国」とも呼ばれるほどの勢力を誇っていました。そのような大国の海軍水兵の制服であることから、マリンファッションの最先端であったともいえるでしょう。セーラー服を着用したイギリス海軍の兵士らは世界中で活動したことで、イギリスの威容を自分たちの姿を通して各地の人々に見せつけたのです。

 そのおかげもあってか、各国の海軍はこぞってイギリス海軍の水兵服を真似し始めます。日本も1872(明治5)年、海軍省の設立とともに海軍水兵の制服としてセーラー服を導入しています。

英国王室から世界的流行に

 とはいえ、子ども向けや女性向けにセーラー服が普及するには、前述したヴィクトリア女王を中心としたイギリス王室が大きく影響していました。

 王室がセーラー服を子ども服として採用したことをきっかけに、イギリスの上流階級を中心に、同じような服装を子どもにさせることが流行します。このブームは18世紀末には定着することになり、セーラー服は子ども服の代表格となりました。

当初は、水兵同様ベルボトムタイプのズボンを着用した男の子向けのものが中心だったようですが、次第に半ズボンや、女の子用のスカートタイプなども登場し、広がりを見せていきます。

 こうした世界的な流れのなかで、セーラー服が日本の女子学生の制服として導入されたのは20世紀に入ってからのことでした。導入には諸説ありますが、1920(大正9)年に京都の平安女学院で採用されたのが最初だと言われています。翌年には愛知の金城学園、福岡の福岡女学院、神奈川のフェリス女学院などで相次いでセーラー服が採用されています。

 男性の制服であったセーラー服がなぜ女学生の制服として導入されたのか。そこには時代背景がかかわっていました。当時は女性の地位向上が世界的に叫ばれていた時代です。

 19世紀末から欧米では、今まで家庭の中でおしとやかにしているのが美徳とされた女性たちが、自転車に乗り、海で遊び、スポーツを楽しむ時代がやってきました。そこでもてはやされたのが動きやすいセーラー服でした。

 19世紀末のフランスで、ボーイッシュ・ブームの一環として女性がセーラー服を着るようになると、20世紀の初頭にはこの流れがヨーロッパ各国やアメリカへと広がっていき、学校制服などで採用されるケースも出てきました。

和装よりも動くのに向いていた!

 そういった世界的な流れのなか、日本でも女性の体格向上と健康増進のために体操教育を取り入れるという考えが広まり、女性のための学校が数多く造られることになりました。

 しかし、当時の女性たちは基本的に和装でしたから、運動をするのには向いていません。そこで、女学校を作る際に、動きやすい洋装を制服に取り入れようとなった訳です。その際に活動的な女性のイメージとして、当時欧米で流行していたセーラー服が選ばれたと言われています。

 そのころ、まだまだ教育を受ける女性はごく少数であり、学校に通う女子生徒たちは、いわばエリートといえる存在でした。そのようななか、彼女たちは元々男性の服であったセーラー服を着こなし、颯爽と街を歩いていたため、その姿にあこがれを持つ女性が多く生まれるようになります。

 こうして、女性向けの高等教育が広がっていくとともに、セーラー服を制服に採用する学校は増えていき、日本の女学生=セーラー服というイメージができ上がったと言えるでしょう。

 なお、太平洋戦争の敗戦によって旧日本海軍は消滅したものの、その伝統を受け継ぐ組織として戦後、海上自衛隊が発足したことで、セーラー服はいまでも現役で使われ続けています。

 ただし、着用するのは男性海士のみ、女性の海上自衛官は、海士であっても幹部や海曹と同じく冬服はキリリとネクタイを締めたスタイル、夏服は開襟のシャツスタイルになっています。

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