旅客機の操縦かんは、パイロットの正面にあるハンドル状の操縦輪と、操縦席の横につくサイドスティックの2タイプに分かれます。これらは将来、どちらかに統一されるのでしょうか。
最初は操縦輪タイプばかりだった
旅客機の操縦かんは、パイロットの正面にあるハンドル状の操縦輪(コントロール・ホイール)で操作するものと、操縦席の横につくサイドスティック方式があります。2つの形式は将来、どちらかに統一されるのでしょうか。
現在の状況を見ると、ボーイング製の旅客機が古くより操縦士の正面に操縦輪(コントロール・ホイール)を配置し続けているのに対し、エアバスは1987年に初飛行させた「A320」でデジタル式の電気信号による操縦システム(フライ・バイ・ワイヤ)を取り入れるのと同時に、戦闘機のような操縦かん=サイドスティックを採用し、以降これを続けています。
そもそも旅客機や輸送機など大型機で操縦輪が正面にあるのは、古くは金属ケーブルを介してパイロットの操作を舵に伝えていたためです。この操作は時に大きな力が必要でした。
たとえば、航空自衛隊の創設期に使われた米国製の双発プロペラ式輸送機「C-46」では、小柄な日本人の手にあまり、「着陸時に機首を引き起こす際、機長が両足を操縦盤にかけて両手足に力を込めて操縦輪を引き、左右の進路は副操縦士が方向舵を踏んで調整した」と、筆者はずいぶん昔にそのときを知る方に聞きました。両手で力を加えやすくするため、操縦輪を正面に置くのが定着したと言えます。
対するサイドスティックは電気信号を用いているため、大きな力を必要とせずに片手で操作でき、操縦席の左右への配置も可能になりました。こうした操縦システム全体の高度なコンピューター化は1980年代から90年代にかけて行われましたが、こうしたハイテク化の中で、サイドスティックの導入もスムーズだったわけではなく、その是非を巡り航空界に大きな議論が起きました。
実はあった「サイドスティック駄目じゃ…」論争、きっかけは?
航空機関士をなくして正副操縦士のみで運航させるコンピューター化は、当初「ハイテク・ジャンボ」と呼ばれた747-400が議論の対象でした。しかし、1988年、実用化直後のA320が航空ショーでのデモフライト中に墜落事故を発生させてしまいます。1992年にも着陸降下中の機体で事故が起きます。
このことで、ハイテク機自体の安全性をめぐり一気に“炎上”したのです。サイドスティックも、「機長席は左側、副操縦士席は右側にあり互いの操作が見えず連携がしにくい」と非難の対象になりました。
ただ、こうした議論はベテランが中心で、若手はその違いをさほど問題にしていまなかった模様です。A320が日本で導入された頃、サイドスティックをどう思うかと筆者がA320の若手機長に尋ねたところ、「正面に操縦輪がない分、(折り返し便の出発前に)席を後ろに下げなくても弁当を食べられますね」と、操縦そのものについては気にしていない答えが返ってきました。
それから約40年。ブラジルのエンブラエル機は中央に操縦輪を配置していますが、カナダのボンバルディアが開発した現エアバスA220や中国のC919はサイドスティックを採用しています。一方で、米ブームが開発中の超音速旅客機「オーバーチュア」のシミュレーターもサイドスティックで、トレンドはサイドスティックに傾いているように思います。
こうなると、ボーイングがいつまで操縦輪を中央に配置し続けるのか、に関心は移ります。ボーイングが仮にサイドスティックを採り入れるとしたら、いずれ再浮上するであろうNMA(新中型機)が有力ですが、まず経営態勢の回復が緊急の課題のため、NMA自体の早期の実現はなさそうです。
それに、サイドスティックの採用はエアバスの後追いと映るでしょう。また、新型機は「旧型のボーイングと操縦の共通点が多い」というのも立派な訴求ポイントの一つになります。それゆえボーイングは操縦輪を中央に置き続け、操縦輪とサイドスティックは並立し続けるのかもしれません。