広島空港は、市街地へのアクセスに時間を要する山間部にある――。旅行者が驚く現象のひとつです。なぜあえてこのような「へんぴな立地」が選ばれたのでしょうか。
よく考えると「新幹線の方が速い」?
人口120万人の政令指定都市を擁し、「宮島」や「しまなみ海道」など見どころも多い広島県ですが、旅行者にとって空の玄関となる広島空港については、山間地に立地し、市街地へのアクセスに思いのほか時間を要することに驚く声が聞かれます。なぜあえてこのような「へんぴな立地」が選ばれたのでしょうか。
今回、広島空港の現在のアクセス事情や空港周辺の様子、開港をめぐる歴史的経緯などを見ていきます。
東京から広島へ向かう場合、利用の多い交通手段としては飛行機か新幹線が考えられますが、市街地をダイレクトに結ぶ新幹線に対して、飛行機では羽田~広島間のフライト後、市街地までリムジンバスやレンタカーを利用することになります。
広島空港ウェブサイトの案内によると、リムジンバスを使った場合の所要時間は、広島駅まで45~50分、広島バスセンターまで55分。フライト時間は約1時間20分と短いものの、搭乗前後の移動・待機時間を含めたトータルの移動時間は4時間程度となり、そうなると新幹線とあまり変わりません。
この課題に対して、これまで広島県や広島市では「アクセス鉄道」開設の検討を重ねてきたものの、採算面の判断から実現せずにいます。そこで近年では自動車利用への対応に重点を変えており、昨年(2023年)は5階建ての立体駐車場を旅客ターミナル前に開設したほか、空港駐車場のリニューアルや新サービス導入を実施。さらに、今年(2024年)7月には元の第一駐車場にレンタカー施設「RENT-A-Car.Port のりんちゃい」を新設して利便性向上に努めています。
そもそも、なぜ広島空港は、あえて市街地から離れた山間部に設置されたのでしょうか。
広島空港、かつては別の場所に?
1993年開港までの経緯を記した『新広島空港工事誌』(運輸省第三港湾建設局広島港工事事務所、1994年)をひも解くと、広島空港は用地の選定にあたって多段階で適地の検討がなされたことがわかります。
それによると、まず県内の都市部や不適な地形の地域を除外した上で、「広島市より40km圏内」かつ「岩国飛行場の滑走路方位より東側」の地域から21か所を選定し、さらに事業費やアクセス性など詳細条件を考慮して、最終的に現在の「本郷(用倉)」(三原市)に決定したとのことです。
空港周辺の開発では、レジャーが可能な「中央森林公園」のほか、広島県の自然の美しさを表した築山池泉回遊式庭園「三景園」も開設し、「庭園空港」という付加価値を加えています。これによってアクセス面の不利を克服しようとしています。
1993年10月29日の開港から31年が経った広島空港ですが、「もっと市街地に近ければ……!」という声は今でも多くの利用者の本音でしょう。そして、この思いの裏側には、同空港の絶対的な評価だけでなく、開港以前に存在した「旧」空港との比較があります。前述の資料名に「新」とあったのも、「旧」の存在を受けてのことです。
広島県の空港史を簡単に振り返ると、広島市の南西に位置する現在の大竹市「小島新開」(JR大竹駅の東側)に1936年、逓信省(現・総務省)によって公共用の「広島飛行場」が開設されたのが始まりです(1943年廃止)。また、1944年ごろには現在の中区吉島新町・光南・吉島南の辺りに陸軍の「吉島飛行場」が開設され、戦後は市民のグライダー滑空の練習場などとして活用されたそうです。
なお、同飛行場跡の南端辺りには、2004年に広島市環境局施設部のごみ焼却施設「中工場」が建設され、近年は映画作品のロケ地としても話題になっています。
「旧広島空港」どこがダメだった?
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって命じられた航空関連活動の禁止が1952年に解かれると、広島でも空港設置を求める声が高まりました。
そこで前述の「吉島飛行場」のふたつ西隣のデルタ南西部(西区観音新町)の県有地が立地として選ばれ、1958年に設置、1961年9月15日に開港を迎えました。これが現在の広島空港の前身となる「旧広島空港」です。
「旧空港」はJR広島駅から約8kmの好立地にあり、60席級のプロペラ機「YS-11」と100席級のジェット旅客機で運航されていた東京~広島線の平均搭乗率は、1981年時点で95%。1975年には山陽新幹線が開通していましたが、この影響をほとんど受けない活況ぶりだったといいます。
しかし、「旧空港」は、滑走路の長さや幅の不足、滑走路と駐機場をつなぐ「平行誘導路」の不在といった欠点から、増え続ける需要に対応が難しくなりつつあるという課題を抱えていたほか、運航便数の増加によって市街地への騒音対策費が膨らんでいたことなどから新空港設置の機運が高まりました。
当時は人口増加によって市街地が拡大し、飛行機の騒音も現在以上に問題視されていた時代背景もあり、右肩上がりの需要に対応していくためには、市街地に近い立地は諦めざるを得なかったといえるでしょう。
こうして、市街地から離れた山間地に現広島空港、つまり「新空港」が設置されたわけですが、「旧空港」のほうはどうなったかというと、財界からの声を受けて存続することになりました。
「旧空港」は広島県が管理する第三種空港となり、名称も「広島西飛行場」に変わり、近距離の地方路線を中心に定期便の運航が続けられました。ただ、要である東京線が新空港に移管してしまったことから需要低迷は免れず、2010年10月に定期便運航が途絶え、2012年11月に廃港となっています。
その後の「広島西飛行場」跡地は、自治体や民間企業によって開発・活用が進められています。航空機能を引き継いだ部分としては県営の「広島ヘリポート」があり、広域防災拠点としての役割も担っています。