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マジで文字通りの「海に浮かぶ空港」設計案、なぜ実現せず? 実際に機体を発着させたものの

乗りものニュース 2024年11月12日 7時12分

巨大な鉄の浮き箱を空港とする工法「メガフロート」は、国内で何度か話題になったことがあり、実際に制作され、航空機が発着したこともあります。なぜ実現できなかったのでしょうか。

関西空港建設がきっかけで…

 空港を海上に建設する手段として、「メガフロート(超大型浮体式構造物)」と呼ばれる手法が話題になったことがあります。一見して巨大な鉄の浮き箱で、スクリューを付けると空母になりそうな構造物、これを空港とするという案です。

 実は過去に、神奈川県横須賀市沖で滑走路に見立てたメガフロートが作られて、実験も行われたことがあります。

 メガフロートは巨大な鉄の箱を海上にいくつも浮かせて係留し、滑走路や駐機場をつくる手段です。「メガ(巨大)」が付かない浮き箱は桟橋などで既に使われていますが、航空機を発着させることができる浮体構造物まではありませんでした。

 メガフロートが注目されたのは、1987年に建設が始まった関西空港です。当時、メガフロートは埋め立てによる地盤沈下を心配することもなく、海洋環境への負担も抑えられると考えられていました。また、当時は造船不況に見舞われていたことからも、新たな事業分野を開拓できると造船関係者から期待されました。

 ただ最終的に、関西空港は埋め立てる形でつくられることに。こうして「メガフロート」は忘れられたかに思われました。

 ところが、2010年に供用開始となった羽田空港のD滑走路建設で、この案が再び注目を集めることになります。この時は、工事の受注へ向けて、メガフロートが実際につくられ、そこで航空機の発着実験が行われました。

「羽田空港の新滑走路をメガフロートに」なぜ実現せず?

 このメガフロートの設置テストは、日本財団の助成事業のもと、メガフロート技術研究組合により、神奈川県横須賀市沖で行われました。離着陸実験の公開を記念して絵葉書もつくられましたが、絵葉書の袋に記されたサイズは、全長1210m、幅は60m、使った鋼材は約4万tだったそう。袋には「1999年8月10日、世界最大の人工の浮く島として」としてギネスブックに登録されたとも記されています。

 実験は運輸省(当時)航空局の双発プロペラ機が発着を繰り返して、実用に耐えることを示しました。筆者はこの東京湾のメガフロートを見学したことがあります。

 このとき、メガフロートが珍しかったのか、米海軍の駆逐艦が近づきすぎてしまい、マストが障害物に当たるということで一時実験が中断されるハプニングもありました。しかし、それ以外の問題はなく、プロペラ機は陸上の滑走路と全く同じように発着を繰り返していたのを記憶しています。

 ただし、羽田空港のD滑走路は埋め立てを基本に、多摩川の河口にかかる部分は桟橋にするという2つの工法でつくられることになりました。

 というのも、埋め立てより建設費を抑えることができるとされたものの、メガフロート自体の耐用年数は実際どれほどか、係留装置の設置方法により工費はどれほど変わるかといった検討課題が残っていたことに加え、当時、滑走路建設工事の入札へJV(共同企業体)を思うように組むことができなかったためとも報道で伝えられています。

 実験に使われたメガフロートは、今は分解されて海釣り公園などに転用されて余生を送っています。しかし、たとえば羽田空港で将来、新たな滑走路の建設が将現実味を帯びた時、メガフロートの採用が再度、議論の対象になるかもしれません。

※一部誤解を招く表現があったため、修正しました(11月13日17時10分)。

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