北大阪急行が、旧会場線のトンネル遺構を報道公開しました。1970年の大阪万博開催時に造られた臨時の路線です。会場線のトンネルは、わずか7か月しか使われませんでした。
営業期間はわずか7か月! 幻の北大阪急行電鉄「会場線」
北大阪急行電鉄が、1970(昭和45)年に開催された大阪万博のアクセスルートの一つだった臨時路線「会場線」のトンネル分岐部とトンネルの一部を、2024年12月12日の未明に報道公開しました。
トンネル分岐部があるのは、千里中央駅のホーム南端から約500mの地点です。普段は立ち入りができませんが、南北線を走る列車の車窓からよく見ると、東側に向けて暗いトンネルが伸びているのが見えます。
トンネル内部は、線路などは撤去されていますが、バラストと呼ばれる砕石は当時のものがそのまま残っています。バラストに紛れてレールを枕木に固定する犬釘が数本落ちていましたが、当時のものかどうかは不明とのこと。
会場線は大阪万博の開幕に先立ち、1970年2月24日に開業。当時、会場線は今回公開されたトンネルの先で地上に出て、現在の北新田橋付近にあった仮設の千里中央駅を経由し、万国博中央口駅まで伸びていました。
大阪万博の総入場者数は6421万人以上。北大阪急行電鉄会場線は最小運転間隔2分30秒のペースで大阪方面と会場を結びました。当時の運賃は、梅田から万国博中央口駅まで110円。輸送客数は2000万人以上で、総入場者数の約30%に相当します。
会場線は臨時線だったため、当時は並行して南北線の工事も進められました。万博が閉幕した1970年9月13日の夜には線路の付け替え作業が行われ、翌14日には現在の千里中央駅が開業。同年内には会場線の撤去工事が完了しました。
現在、会場線の地上部は中国自動車道になっており、当時をしのぶ手がかりはほぼありません。今回公開された地下トンネルは、当時の会場線の記憶を現在に伝える貴重な遺構です。なお、トンネルの先端部分はコンクリート壁で閉鎖されていて、開口部跡も地上からは分からなくなっています。