硬派なバイクで知られるカワサキも、かつてはホンダ「モンキー」のようなレジャーバイクをラインアップしていました。今じゃ考えられない“ヤワなバイク”でしたが、不思議な魅力があるとか。長年保有しているオーナーに聞きました
漢カワサキじゃ考えられない? モンキーっぽいのつくってました
高排気量モデルを多くリリースし、バイクメーカー4社の中でも最も硬派な印象があるカワサキ。「ヤワなバイクは出さないぜ」と言わんばかりの渋い系、走り系、はたまたアメリカ軍や日本の自衛隊などにも採用される軍用モデルが存在し、いずれも熱狂的なファンがいることで知られています。
その一方、1960年代から1980年代初頭にかけては、いわゆる「レジャーバイク」のカテゴリーに属する、かわいらしくカッコ良い低排気量のモデルも生産していました。
主にアメリカカワサキ主導で生産された「コヨーテ」(1969年)、「MT(後のKV75)」(1970年=アメリカ輸出モデル)、「KV75」(1976年=日本国内仕様モデル)といったモデルです。ここではそのKV75オーナーの玉田欽一さんと、これらカワサキ版レジャーバイクに迫ります。
最近の電動アシスト自転車のモチーフにもなった伝説のレジャーバイク・コヨーテ
一つ目が、1969年にアメリカ市場向けに登場したコヨーテというバイクです。
ホンダがモンキーで切り開いたレジャーバイクというカテゴリーは、アメリカで静かなブームとなり、このニーズに合わせてアメリカカワサキが生産に取り組んだのが、このコヨーテです。日本での販売はありませんでした。
モンキーがそうだったように、コヨーテもまたサーキット場、ゴルフ場、アウトドアのレジャーシーンでの移動を助ける簡易的なミニバイクとしての登場でした。
そのため、かなり細いフレームに簡素なエンジンを搭載。灯火類はなく、ガソリンタンクも極めて簡素なもの。正確な容量は不明なものの、おそらく1リッターくらいではないでしょうか。一方で、2サイクル、4サイクルモデルの2種があったという説もあり、マニア心をくすぐる奥深いバイクでもありました。
玉田さんは過去に、コヨーテを国内のバイクショップで一度だけ生で目にしたことがあると言います。
「たぶん誰かが日本に持ち込んだのだと思いますけど、コヨーテをショップで眺めていたら店員さんが寄ってきて『珍しいでしょう。これはアメリカでしか売られていなかったカワサキのレジャーバイクですよ』と言われたんです」
それはないだろ!な価格
試しにコヨーテの価格を聞いたら、なんと100万円だったそう。
「『それはないだろ』と思いました。確かに希少性が高いバイクではあるんですけど、灯火類の部品もなく公道を走れないこと、そしてモンキーのように後に脈々と続くストーリーがあるわけでもないコヨーテが100万円とは。もちろん買いませんでした」(玉田さん)
他方、今改めて見てもかなりカッコ良いコヨーテは、2020年に登場したアメリカの電動アシスト自転車・Super73のモチーフにされるなど色褪せない魅力があるのも事実。やはり「かわいいレジャーバイク」といえども、どこか硬派な印象を持つのもまたカワサキならでは、と言って良いかもしれません。
カワサキ版モンキー=伝説のレジャーバイクKV75
コヨーテの翌年、1970年には、MT1(後のKV75)が登場します。これもアメリカカワサキ主導で開発されたモデルで、当初はアメリカ市場限定のバイク。灯火類などが搭載されない一方、モンキー同様の折りたたみハンドル式でした。
同時代のモンキーは50ccでしたが、「MT1(後のKV75)」は少し排気量の多い75ccモデル。2ストロークアメリカ市場では1971~1974年までの初代、1975年までの2代目が存在しました。そして、1976年には3代目が登場し、このモデルから「KV75」として日本国内仕様の販売スタート。玉田さんが所有するモデルも日本国内仕様のモデルです。
「最初はかわいいなと思って入手したKV75ですが、実際に乗ってみるとかなり独特で、実用的には支障があるバイクでもありました(笑)」
ずっと昔に6Vのモンキーを乗っていた時期もあるという玉田さん。「だからよくわかるんですが、この時代のモンキーもKV75も、クラッチレバーのない遠心クラッチのモデルなんですよ。モンキーなどのカブ系の遠心クラッチはスムーズにシフトチェンジができるのですが、KV75はクラッチが切れる機構がなく、ダイレクトにギヤが入ってしまうため乗りづらいんです」とのこと。
「カワサキは大好きですけど、このKV75というバイクはひどいと。アメリカでは親が子どもに乗せるケースも多かったようですが、とてもじゃないですけど、『子どもに乗せるバイクではないだろう』と思いました(笑)」
「全日本KV75ミーティング」に来た台数は…
KV75をけっこうボロカスに言う玉田さんでしたが、それも愛憎一体としたもの。今でも大切にメンテナンスし続け、長い所有歴の間には、KV75のオーナーズミーティングを実施した経験もあるといいます。
「30年くらい前の話ですが、雑誌の読者欄に個人が有志で『同じバイクのオーナーとミーティングする』告知を出すことがよくありました。︎KV75を乗っている僕の友達が『全日本KV75ミーティング』というものを主催し、僕も誘われて参加しました」
ミーティングの場所は東京のお台場。「必ずKV75の自走で来なくてはいけない」という縛りも設けたそうです。「年末の寒い時期でしたけど、どれだけのKV75が集まるのかなと楽しみにしていました」と話します。
「しかし、ミーティング当日にお台場に来たのは僕と友人と、雑誌を見て来てくれたもう1台だけ。白い息を吐きながら、3人だけでお互いのKV75を前に缶コーヒーを飲んで、そのままお別れして(笑)。あれは悲しかったですけど、でもそこで来てくれた方はすごく良い人で、後に友人にKV75の情報を仕入れたりすると、手紙を書いてくれたりしたそうですよ」
え、いまそんなに高いの!?
ところで、1970年代前半、各バイクメーカーからレジャーバイクが続々と登場しましたが、中半から後半にかけては、レジャーバイクブームが徐々に下火になっていきます。
人気の衰えが見え始めた頃に、日本国内で発売されたKV75は正直「時期が遅かった」印象は拭えませんでした。また、当時の日本の交通法規では50ccはヘルメットを着用せずに乗れ、その手軽さが人気でしたが、75ccはヘルメットが必要でした。このことも災いし、さほどヒットには至らずやがて姿を消しました。
それでも、いまなお中古車市場ではKV75がわずかながらに販売されています。その相場は個体の状態にもよりますが、1台約50~60万円。希少性があるとはいえ、それでもこの価格で堂々と販売されているということは、やはり一定のファンを持つバイクだからのようにも思います。
「今、KV75が50~60万円もするんですか? そんな高値で買う人がいるなら僕もちょっと考えちゃいますね(笑)。でも、そう思っても何故だか手放せないのがKV75の不思議なところで、今は外装などを外して保管しています。他のメーカーのレジャーバイク同様に、『これはこれ』の個性があると思います」(玉田さん)