世界には、19世期後半から20世紀初頭にかけて銃器で培った技術力を背景に、自動車やバイク製造に進出したメーカーが存在します。なぜこれらの企業は自動車やオートバイの製造に乗り出すようになったのでしょうか。代表的な企業を見てみます。
拳銃やマシンガンで有名な企業
その国の工業水準を測る指標として、世界的な自動車メーカーが存在するかがひとつの目安にされることがあります。その理由は、自動車が様々な精密部品で構成された工業製品だからであり、自国でそれらを賄うためには、裾野の広い大きなピラミッド型のメーカー群がなければ、高性能かつ多様な車種を大量生産することが難しいからです。
ただ、実は同様のことは兵器も同様です。ゆえに、実は有名な銃器メーカーの中には自動車やバイクを製造し、名を挙げた企業も数多く存在します。代表例を見てみましょう。
そもそも、内燃機関、いわゆるエンジンを搭載した自動車が誕生したのは、19世紀末です。1886年にゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツがほぼ同時期にガソリン自動車を発明したことを契機に、ヨーロッパでは貴族や豪商などの上流階級を中心に徐々に自動車が普及していきましたが、自動車を生産できるのは、高い工業力と精密加工技術を持つ国に限られました。このころヨーロッパでは産業革命により工業化が進んでおり、とくに高い技術力と精密加工技術を持つ銃器メーカーが、自動車やオートバイ製造に進出するケースが見られました。
19世紀末から20世紀初頭にかけて銃器を製造し、量産化するには、高い工業力と精密加工技術を必要としました。そのことがヨーロッパにおける自動車の発展の下地となったといえるでしょう。
例えばCZ75自動拳銃やVz.61「スコーピオン」短機関銃などの開発元として知られるチェコのCZ(チェスカー・ズブロヨフカ・ウヘルスキブロッド)社は、第一次世界大戦後にオートバイ製造へと進出しています。同社のオートバイは、安価な日本製オートバイが台頭するようになった1970年代までは、2ストロークのオフロードバイクを中心に各国で人気を博しました。
「ベネリ」「FN」と聞いて連想するものは?
また、トヨタ「GRスープラ」やBMW「Z4」の生産を請け負うオーストリアのマグナ・シュタイア社も、銃器メーカーの流れをくんでいると言えるでしょう。
同社の前身であるシュタイア・ダイムラー・プフ社は、もともと小銃メーカーで、2001年に銃器部門が分社化されましたが、1864年の創業から現在まで狩猟用ライフルのほか、ブルバップ式の軍用ライフル「ステアーAUG」を製造しています。
ユニークな歴史を持つのはイタリアのベネリです。同社は夫を亡くしたテレサ夫人とその息子たち5人兄弟によって創業した二輪メーカーで、自動車やバイクの修理工場を経て1921年に市販1号車の発表するいっぽうで、猟銃の製造も手がけるようになりました。
同社は、1970年代に日本車の台頭で経営危機に陥ったため、モト・グッツィと合併しています。その後、二輪ブランドは休眠状態になりますが、一方で銃器部門は分社化されベネリ・アルミ社となった後も好調を続け、ベネリM1やM4などの高性能なセミオートマチック式散弾銃を開発しています。
この銃は世界の軍隊や警察で使用されるベストセラーとなりました。
過去に自動車を生産していた銃器メーカーで、もっとも有名なのがベルギーのFN社でしょう。この会社は「Nationale d’Armes de Guerre」、日本語に訳すと国営兵器製造会社という言葉が社名の元で、1899年から1930年代後にかけて主に高級車を製造していました。
とは言うものの、FNにとって自動車製造は本意ではなく、M1889小銃とその改良型であるM1893小銃の製造権を巡り、ドイツのマウザー社との法廷闘争で敗れたことにより資金繰りが悪化。これを補うために自動車ビジネスに参入したというのが大きな理由でした。
FNが製造した高級車はベルギーやペルシャ(現イラン)の王室にも納入され、好調を博していたようですが、世界恐慌の直前にラインナップを大幅に強化したのが裏目に出て1930年代に経営が悪化、乗用車製造から撤退せざるを得なくなります。ただ、その後もベルギー国内の需要を賄うために、1960年代までトロリーバスを生産しています。