阪神大震災発生から30年を迎えます。同震災で衝撃的な映像といえば、阪神高速の道路が橋脚ごとへし折れて横出しになっているシーンを思い浮かべる人も多いかと思いますが、なぜこのような状況になったのでしょうか。
阪神高速の橋脚 なぜ折れて横出しに?
2025年1月17日で、阪神大震災発生から30年を迎えます。5000人以上の死者が出た同地震で、衝撃的な映像とひとつとして、当時を振り返るVTRなどで必ずといっていいほど使用されるのが、橋脚が崩壊し、横倒しになっている阪神高速3号神戸線の橋脚です。なぜこのような状況になってしまったのでしょうか。
当時の映像や写真などで登場する折れた阪神高速の橋脚は、神戸市の東灘区深江地区の範囲にある17基の橋脚になります。完全に橋脚が折れ、鉄筋が露出し635mにわたり橋桁が横倒しになった風景が続いていました。
実は阪神大震災のちょうど1年前の1994年1月17日に、アメリカでロサンゼルス地震とも呼ばれるノースリッジ地震が発生し、高速道路の一部が崩壊するという、阪神高速と同様の状態となりました。当時日本の専門家は、日本の耐震構造ならば、この地震よりも強い揺れでも倒壊することがないだろうと判断していました。
もちろん想定を超えた揺れが、橋脚を襲ったことも倒壊の原因ですが、完全倒壊した17基の橋脚に関しては「ピルツ構造」または「ピルツ橋脚」といわれる、橋脚と橋桁などの上部構造が一体化した方式が使われていました。この構造を採用したことが倒壊の原因のひとつであるとみられています。
キノコ型の橋脚と「段落とし」が大きな原因か
ピルツはドイツ語でキノコのことで、橋脚と橋桁が一体化した構造がキノコのように見えたことから呼ばれるようになったそうです。
同構造は工期短縮などで使用された工法でした。当時は橋脚と橋桁が一体構造になっていたとしても大きな地震には耐えられるという想定でしたが、予想以上の大きな揺れが起きたため、一体構造を採用していたピルツ橋脚は振り子のように左右へ大きく振られることとなり、橋脚ごと折れてしまうほどの力が働いたといわれています。
そのため阪神高速は、震災から復旧後の同区域ではピルツ構造ではなく、橋桁と橋脚を分離する構造とし、地震力の低減を可能とする免震支承を採用しました。
さらにもうひとつ、当時は阪神高速含め多くの橋脚が抱えていた地震への重大な弱点がありました「段落とし」構造です。
段落としとは、橋脚に垂直方向で入れる鉄筋(主筋)を施工の際に橋桁の中央部分のみ減らす方法です。本来の鉄筋を橋脚全てに同じ本数入れる工法よりも、工期・工費を大幅に削減できたためよく採用されており、強度的にもそこまで問題はないだろうとみられていました。
1980年以前に作られた橋脚には、倒壊した阪神高速の橋脚も含め、多くの橋で段落とし構造が採用されており、震災時に段落とし部分から主筋が曲がり、橋脚の屈折に至る橋が多くありました。完全に曲がらない場合でも、コンクリートの内部まで破損が発生し、表面のコンクリートを崩落させる橋脚なども見られました。
震災後は、段落しを有する鉄筋コンクリート橋脚の耐震性能を向上させるために、全国で耐震補強工事が行われることとなりました。
この震災では阪神高速3号神戸線と、その9か月前に開通した5号湾岸線が同時に通行止めとなりましたが、湾岸線は同年9月1日に復旧。神戸線は段階的な部分開通を経て、震災から約1年8か月後の1996年9月30日に全線復旧しました。
大きな地震が発生する場合、それまでの常識を覆す様々な想定外が発生します。地震だけではなくほかの災害も含め、発生した後に教訓を得て改善されることも多々あります。