17日に阪神・淡路大震災は、発生から30年を迎えます。あの日、神戸で亡くなった珠洲市の男性の遺族は、去年の能登半島地震で自らも被災し、ある思いを抱いていました。
「あれから30年経ってるんだけど、昨日のような感覚にいる」
惣田亜喜夫さん 62歳。30年前、突然父を亡くしました。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災。
震度7の揺れに襲われた街は一瞬にしてがれきの山となり、6434人の尊い命が奪われました。
神戸の酒蔵へ出稼ぎにでていた父・一男さん(享年62)。倒壊した建物の下敷きとなり命を落としました。
毎年春になると父が出稼ぎから帰ってくるような感覚になるといいますが…
惣田 亜喜夫 さん:
「ガシャっていったからゆっくり来たら『家潰れとる』みたいな」
実家があったのは珠洲市正院町。父との思い出が詰まった家は能登半島地震で全壊しました。
惣田 亜喜夫 さん:
「アルバムとか、いろんながいっぱいあった。だけど取れん」
父が映ったビデオやアルバムは1つも取り出せませんでした。
すぐ近くに自らが建てた住まいも大規模半壊。一時は金沢に避難を余儀なくされました。
その避難生活の中で…
「上から瓦がガシャンガシャンって、何もできない。そのうち・・・」
惣田さんは自身の経験を直接伝えていこうと、多くの人の前に立ちました。
震災を忘れないことが、復興に繋がるという思いからです。
惣田 亜喜夫 さん:
「風化させたくないというだけ。(復興には)あと何年かかるか分かんないけど自分らは年。でも協力できることはやろうかな」
父を奪った阪神・淡路大震災から30年、自らも被災した能登半島地震から1年。
「父ちゃん、あれからもう1年経ってんぞ。また来るわ」
惣田さんは17日、神戸市で行われる慰霊祭に参加します。
惣田 亜喜夫 さん:
「正院町の人に『神戸はこうやったわ』とか、伝えて参考になればいいなと思って。少しずつ、1ミリでもいいから、自分のやれることをやろうかな」
神戸のように一歩ずつ。
惣田さんは能登の復興を願い、今後も2つの大地震を語り続けます。
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