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“2次避難カフェ”店主 続けた能登への炊き出し 故郷戻り逆境から復興目指す

テレ金NEWS NNN 2025年1月30日 14時59分

能登半島地震で被災したカフェの店主。2次避難難先の金沢で営業を再開させながら、地元珠洲へ物資や炊き出しの支援を続けました。故郷を思う店主を追いました。

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能登に甚大な被害をもたらした去年、元日の大地震。

珠洲市の商店街も被害大きく、市民の憩いの場所だった大型スーパーも営業を諦めました。

珠洲市から2次避難し、金沢市内東山でカフェを始めた人がいます。

奥佐将司さん。経営していたカフェが地震で営業できなくなり、金沢の冷凍食品店を間借りし、去年4月から同じ境遇のカフェ仲間と曜日を分担して営業を再開しました。

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奥佐さんは、珠洲市内でバイク愛好家が集う店を2年前にオープンさせました。しかし、地震で休業に追い込まれ、自宅も全壊しました。

奥佐 将司 さん:

「営業できない店の2000万のローン。1600万の家のローンですよ、無い家のね。だから今は無い家と営業できない店のローンを払い続けないといけない状態なんですよ。電話は全部、借金取りの電話なんです。カード会社あーだこうだ、払える状況と思っているんか、仕事も出来ないのに、いま何が起こっとるか知ってとるかって、ああ、わかってますって…」

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奥佐さんはクリスチャン。金沢でも日曜は、教会で祈ります。

ローンの悩みを、保険会社に勤務の教会仲間に相談します。

「見捨てられたと言われてもおかしくないですよ。国からね」

「大きな支援というのは無いんですよ。詳しい商工会の方とご相談されるのがいいのかなと」

奥佐 将司 さん:

「(奥佐さんみたいな人は?) いっぱいいると思う。個人事業主みんなそう。みんな困っていると思う。大丈夫な店、開けたとて人来ない。商売にならんよ、居ないもん人…」

地震以来、奥佐さんの家族は、離れ離れになりました。妻は珠洲で働き、奥佐さんは金沢の教会に寝泊まりしています。

奥佐 将司 さん:

「わからん、何がどうしたらよいのか…」

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金沢で店を間借り中の奥佐さん、彼の自慢は素材にこだわったコーヒーと料理。

この日は金沢に住む同級生が来てくれました。話すのはやはり、ふるさと珠洲のこと…

「この地震があってから印象がガタ落ちな気がする」

「そやと思うよ」

「もう怖いから行きたくないみたいな」

奥佐 将司 さん:

「(元に戻らない?) 絶対戻らん。100パーセント戻らん、元には。だって見附島だった無くなっているのに、元に戻ることはない」

ふるさとを心配する奥佐さん。炊き出しをして欲しいとSNSで呼びかけた所、金沢やかほく市の協力者と繋がりました。

支援者: 

「インスタのDMでいきなり(奥佐さんに)連絡しました。やばい人かなと、ドキドキしながら連絡しました」

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4ヶ月経っても地震の爪痕はそのまま。

正院小学校のグラウンドに建設された仮設住宅で、炊き出しをします。

同級生もやってきました。

奥佐さんの同級生:

「偉いね、こんなことして。(中学の頃は?) いやまあ、元気なお子さんでした。(ヤンキー?) 元気な…」

地震直後から地元の為にと動いてきた奥佐さん。中学校で教師をしていた浦さんは…

同級生の浦 秀一 さん:

「もう1月中は支援物資を運んでくれたし、ほんとによくやってくれてる。若い時の姿を見てたら想像できないね」

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ここがバイク好きが集まる奥佐さんの店。休業中の今は全国からの支援物資を保管し、能登一円に奥佐さんが配達しています。

この日、教会仲間が全国から支援物資や食糧を運んできてくれました。

アメリカから届いたサンダルを配り、炊き出しもします。

被災者 :

「去年半壊、今年全壊。去年は涙が出たけど今年は涙も出ない…どうしょうと思う」

被災者と支援者の橋渡しを担ってきました。

松任キリスト教会・高木 順一 牧師:

「彼が居なかったら、私も珠洲の人達と繋がりがなかったし、奥能登の皆さんの惨状を彼は伝えたい気持ちで金沢にいるから、被災者でありながらキーマン」

倒壊家屋やがれきが残る珠洲。後ろ髪を引かれるように金沢に戻ります。

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この日は、加賀市に向かいます。

憧れの人に会うためです。十字架を背負って日本列島縦断をしている牧師のアーサー・ホーランドさんです。

「将司です」

「僕のことどこで聞いたの」

「フェース・ブックで」

「ありがとうございます」

一緒に歩きながら、苦しい胸のうちを話します。

「最初の頃はほんと絶望しかないんですよね」

「そりゃそうだろう」

「家は無くなり、みんな回りがやられたんで、昔の思い出も何もかも全て壊されたような、町の景色も全て変わったんですよ」

「復興を願っても思いどおりに中々いかない。心が萎えてくる場合も沢山あります。1人の人が変ることによって回りが変わっていく、そういうエネルギーも働きますから」

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その後、奥佐さんは、金沢の避難先から珠洲に戻りました。

地震から1年… 至る所が空き地になりました。

珠洲市では飲食業と観光業の廃業や休業が46・8%、まだまだ増えそうです。

店を再開させましたが、この日の客は1人…

奥佐 将司 さん:

「(客)ゼロの時もあるよ… ゼロ…」

休日には、教会やボランティアがイベントを開催してくれます。その観客たちの飲食で何とか店を賄っています。

奥佐 将司 さん:

「この地震があって、能登っていうのが捨てられない。どこまで行ってもあれをくらって、あの日にここに居た人達でないと思いは共有できない。どこまで行っても絶対に。あと、この店があるからやろ。ここあるからなんとか拠点にね、必ず復活する。大丈夫だぞって見せたいし…」

店を続けようと奥佐さん。孤独な挑戦は続きます。

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