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パワプロが30年後も続いていると思いましたか?【パワプロ30周年独占インタビュー】第1回「はじまり」

よろず~ニュース 2024年7月12日 12時10分

 2024年にシリーズ30周年を迎えた人気野球ゲーム「パワフルプロ野球」シリーズ(以下、パワプロ)。その記念作品『パワフルプロ野球2024-2025』が18日に発売される。株式会社コナミデジタルエンタテインメントの豊原浩司氏、池本健二氏、成田藤智氏、濱見太輝氏がこのほど、よろず~ニュースの取材に応じ、パワプロの“これまで”と“これから”を語った。全4回にわたる独占インタビュー。第1回のテーマは「パワプロのはじまり」。

  ◇  ◇

 1994年3月11日。パワプロシリーズの記念すべき第1作『実況パワフルプロ野球‘94』が発売された。企画が立ち上がったのは前年の93年。創設メンバーの豊原氏は「きっかけは上司に言われたからなんですけど…。当時の上司が野球好きの人だったんで、野球ゲームを作ることになって」と苦笑いで振り返る。

 当時、豊原氏は『激突ペナントレース2』(89年発売)、『生中継68』(91年発売)で野球ゲームの制作は経験していたが、93年はJリーグが開幕し国内のサッカー熱が高まっていた時代。「Jリーグが始まる年だったので『なんでサッカーじゃないんかな』ってチーム全員が思っていたんですけどね」と困惑気味で走り出したという。

 結果的に、30年後も愛される日本野球ゲーム界のトップランナーへと成長していくのだが、豊原氏は「(30年間続く予感は)全然なかったですね」と当時を回想。95~96年頃にパワプロ制作チームに加わった池本氏も「(制作チームは)にぎやかでした、人数は少ないですけど。まさか、ここまで続くとは思わなかったですね」と同調した。

 その理由を豊原氏は「一般的な『野球ゲーム』では踏み込んでいないようなところまで作ってみようと思っていたのと、アクションゲームとしてもシビアなものにしようと思っていたので、いずれにしても一般ウケはしないだろうなと。一部に熱狂的人気があれば良いかなぁくらいにしか思っていなかったですね」と明かした。

 従来の野球ゲームでは、「野球」における細かい要素をそぎ落とし、単純な「投げる」「打つ」をプレイする仕様が一般的だった。しかし、パワプロでは「例えばインフィールドフライ、振り逃げ、守備シフトを入れたり。あんまり『インフィールドフライが再現されてるから買おう!』とはならないと思いますが、他ではやってなかったんで」(豊原氏)と細かい要素をあえて取り入れた。これが「一般的な『野球ゲーム』では踏み込んでいないようなところ」だった。

 そして「投げる」「打つ」にも“高低”という要素を導入。これによって、ユーザーは「タイミングよくボタンを押して打つ」前に、「ボールの位置にカーソルを合わせる」が必要になり、よりシビアなアクションゲームとなった。当時学生だったという成田氏は『実況パワフルプロ野球3』(96年発売)で初めてパワプロに触れ「当時は色々な野球ゲームに触れていましたが『こんなに難しい…何をさせるんだユーザーに』と思いましたね。高低とかが厳しくて」と衝撃を受けたことを回想した。

 細かい要素に踏み込んだシビアな野球ゲーム、パワプロはこうして誕生。94年3月に発売するのだが、同年にオリックス・イチロー選手が日本プロ野球史上初となるシーズン200安打を達成する。

 豊原氏は「1作目に(イチローは)収録されていなかった。100安打の最速記録をシーズン途中で立てたくらいから、ちょっとザワザワしだして、200本安打を達成するんじゃないかと世間の熱気が湧いてきたというか。初期メンバーのひとりがオリックスファンだったんで、ずっと言ってましたね」と振り返る。

 第1作の収録野手はスタメン組と控えでわずか15人。93年時点では「期待の若手」という立ち位置だったイチロー(鈴木一朗)が漏れるのも致し方なかった。なお、パワプロにおけるイチローの初登場は次作『実況パワフルプロ野球‘95』(94年12月発売)だ。

 そして、米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手も94年生まれ。当時は知る由もないが、パワプロと“同い年”という共通項が生まれていた。

 その縁もあって、大谷は24年に「KONAMI野球ゲームアンバサダー」に就任。濱見氏は「パワプロ30周年を盛り上げる、アンバサダーを野球界から選任したいというのは前からあったんですけど、誰がふさわしいかとなると『現在の野球界を代表する選手』そして『94年生まれ』。この人しかいないというのはありましたね。すごく運命的なものを感じるところはありましたし、大変ありがたかったですね」と話した。

 「なんでサッカーじゃないんかな」からのスタート。結果的に、2人のスーパースターの“誕生”と重なったことは「偶然」だとしても「運命」だったのかもしれない。

(よろず~ニュース・藤丸 紘生)

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