NHK大河ドラマ「光る君へ」第32回は「誰がために書く」。紫式部(まひろ)は一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)に仕えることになったのですが、女房(女官)としての生活は大変なこともあったと思われます。彰子は内裏の「東北の対」に住み、彼女に仕える女房らはその「庇の間の細殿」にて起居したようです。
細長い板敷の間に仕切りをした局(宮中などで、そこに仕える女性の居室として仕切った部屋)は、とても狭く、窮屈だったとのこと。しかも、そこを人々が頻繁に行き交うのですから、繊細な人ならばすぐに参ってしまうでしょう。他人との相部屋ということも時にはありました。誰かのイビキで眠れないということもあったと推測されます。
清少納言の随筆『枕草子』には、内裏の細殿での生活を「昼も油断なく緊張していなければならない。夜は一層、心を許してはいられない」と書いています。夜になると、男が忍んでくる可能性もあり、女房は気が休まりません。
『紫式部日記』にも、夜に部屋で寝ていると、戸を叩く者があったと記載されています。式部は恐ろしくなり、音も立てずに一夜を過ごしたとのこと。すると翌朝「夜もすがら水鶏よりけに鳴く鳴くぞ 槇の戸口を叩きわびつる」(夜通し、水鶏にもまして、泣く泣く槇の戸口に立って、戸を叩きあぐんだことです)との歌が式部のもとに寄越されます。式部と関係を持ちたい男が立っていたと思われます。
その歌に対し、式部は「ただならじとばかり叩く水鶏ゆえ 明けてはいかにくやしからまし」(ただごとではあるまいと思うほどに戸を叩く水鶏のことですから、戸を開けて貴方に靡いたらどんなにか悔しいことでしょう)と返歌しています。式部の部屋の戸を裂く叩いた男を「藤原道長」とする説もありますが、定かではありません。式部を道長の妾とする見解も古くよりありますが、根拠がない俗説だと考えられています。戸を叩き虚しく帰った男は一体、誰だったのでしょうか。
(歴史学者・濱田 浩一郎)