NHK大河ドラマ「光る君へ」第45回「はばたき」。長和3年(1014)、三条天皇は病に苦しむ日々を過ごされるようになります。3月上旬には「片目見えず、片耳聞こえず」という状態となられ、同月中旬頃には「鼻聞えず」(鼻が通りにくいとの意か。鼻炎か)という症状も現れたようです。そして4月中旬には「心神」は良好でしたが、やはり「目なお快からず」との有様でした。三条天皇は眼病となっていたのです。
そうした時に左大臣の藤原道長が「参入」してきたのですが(4月13日)、その機嫌は良くなかったとのこと。その理由は、三条天皇の「心神」の状態が良好だったと言われています。その様を見て、道長は不愉快になったというのです。以上は、藤原実資の日記『小右記』の記述ですが、その事を聞いた実資は道長を「大不忠の人」と酷評しています。
三条天皇が病となった頃には、内蔵寮不動倉・掃部寮などが焼けてしまい、累代の宝物も焼失してしまいます。道長はその直後に「天道が主上(三条天皇)を責め奉ったのだ」ということを奏上しています。これは、三条天皇に退位を迫ったものと考えられるでしょう。
そうしたことを踏まえると、実資が道長を「大不忠の人」と罵ったことも理解できる気がします。道長は三条天皇に譲位を頻りに促すこともあったようです。道長は、三条天皇の眼病により「皇政は廃忘」しているようなものと見做していました。この状態を何とかするには、譲位しかないと考えていたのでしょう。
三条天皇の眼病は回復するどころか悪化し、11月中には「暗夜」のように目が見えない状態となります。天皇はこうなってはどうしようもないということで、譲位の決意を固められます。三条天皇は皇后・娍子の子・敦明親王の立太子を条件に、後一条天皇(一条天皇と道長の娘・彰子の子)に譲位することになったのでした(1016年)。三条天皇としては、我が子の立太子を道長に認めさせたことで、先ずは安堵したのではないでしょうか。
◇主要参考文献一覧 ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)。
(歴史学者・濱田 浩一郎)