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M-1決勝直前!1回だけで廃止となった審査システムも…2001年「第1回M-1グランプリ」プレイバック

よろず~ニュース 2024年12月19日 7時50分

 2001年12月25日、漫才の頂点を決める大会「M-1グランプリ」の第1回大会が開催された。あれから20年以上が経過し、M-1グランプリは日本を代表するお笑いの祭典として定着している。2025年12月5日には今年の決勝の舞台に立つメンバーが発表された。

 今となっては年末の風物詩ともいえるM-1グランプリだが、記念すべき第1回大会の詳細を覚えている人は少ないのではないだろうか。そこで当時リアルタイムで視聴していた筆者が、第1回M-1グランプリを振り返ってみる。

 第1回M-1グランプリは、参加資格が結成10年以内という条件で、プロ・アマ問わず参加可能だった。当時としては破格の賞金1000万円と、決勝戦のゴールデンタイムでの全国ネット放送を求めて、1,603組もの応募があった。

 現在のM-1決勝戦は、ネタの都度、審査員が点数をつける形式で採点しているが、当時はその採点に加えて、一般審査員による採点もおこなわれていた。札幌・大阪・福岡の各会場に集まった100人ずつの一般客が、1人1点を持ち点として審査するシステムだ。この一般審査員採点は、地域によって評価に偏りが出る可能性があるなどの問題点もあり、以降の大会では採用されていない。

 また、現在では3組が選ばれる最終決戦だが、第1回大会では2組だけが選ばれる形式だった。最終決戦の2組に残ったのは中川家とハリガネロックだった。中川家は、トップバッターで出場しそのまま優勝を果たすという快挙を成し遂げた。一方、準優勝のハリガネロックは、現在では解散してしまっているが、当時は関西で絶大な人気を誇っていたコンビである。

 第1回大会で決勝に残った10組のうち、吉本興業所属のコンビが7組で、当時は関西色の強い大会だった。今年の大会も吉本興業所属のコンビが最多ではあるものの、サンミュージックやケイダッシュステージ所属のコンビも出場しており、多様化が進んでいる点も見受けられる。

 そして意外な出場者として、DonDokoDonやおぎやはぎが出ていたのも第1回大会の特徴といえるだろう。また当時無名だった麒麟がこの大会で高評価を受け、一気に知名度を上げたことも印象的だ。以降の大会で、無名の状態で決勝まで進出してきたダークホース的存在を「麒麟枠」と呼ぶようになったほどである。ほかにもフットボールアワーやチュートリアルといった後の大会の優勝者や、今や別の形で活躍しているキングコングも出場していた。

 第1回M-1グランプリは、その後の日本のお笑い界に大きな影響を与えた大会だといえるだろう。中川家の優勝により、「王道の漫才が強い」という傾向が生まれ、以降の大会にも影響を与えたと筆者は考えている。

 また、この大会をきっかけに、関東の芸人の漫才を全国で見る機会が増えたことも大きな変化だろう。あれから20年以上が経ち、M-1グランプリは進化を続けている。採点方法や決勝進出者の数など、細かいルールは変更されてきたが、「最も面白い漫才を決める」という本質は変わっていない。

 これまでの大会を振り返り、あなたのベスト漫才は何だっただろうか。今年の大会が始まる前に、過去の名作漫才を見返してみるのも良いだろう。そうすることで、今年の大会をより一層楽しむことができるはずである。

(よろず〜ニュース特約ライター・夢書房)

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