寅年に思うこと
2022年(令和4年)は『寅年』。寅には〝動〟の意味も含まれ、草木が初めて地上に顔を出す状態を指すといわれる。
地上に顔をのぞかせた草木が成長していく年だということ。また、同じ寅年でも、2022年は36年に1回の『五黄の寅』で運気のいい年だとされる。
株式相場の世界には、『寅は千里を走る』という格言がある。もっとも、相場に力強さはあって欲しいが、走り過ぎても、ということで、用心深さも求められるということか。
十二支の寅は動物でいえば、虎で非常に勢いのあるものになる。この虎には、どう対応していけばいいのか─。
コロナ危機はいろいろな教訓を残してくれたし、コロナ対策と経済再生をどう図っていくかという2022年の命題。
『虎に翼』で元々、力のある者がさらに勢いを増すのはいいが、節度を失うと衰退、場合によっては自己破壊してしまう可能性もある。
人との関係においても、『虎の威を借る狐』になってはいけないし、『虎の尾を踏む』という事もないように、危機管理が問われる年になりそうだ。
日本国内では新型コロナの感染者数は激減しているが、気になるのが南アフリカで見つかった変異株『オミクロン』の登場だ。伝播力が強く、従来のワクチンも効果がないといわれる。
コロナ禍は続く。酒の上で『虎になる』ことはまだまだ許されない。日常生活でも、バランス感が求められそうだ。
オミクロン株の登場に
新型コロナ感染症も収束してきたと思ったら、南アフリカに新たな変異株が登場した。
早速、WHO(世界保健機関)は最も警戒レベルが高い『懸念される変異株(VOC、Variant Of Concern)』に指定し、『オミクロン株』と名付けられた。
これまでも『アルファ株』、『デルタ株』などに翻弄され、2度のワクチン接種で何とかしのいでこられたと思った途端、今度はより強力な感染力を持つ『オミクロン株』だという。
しかも、これまでのワクチンでは免疫力を持たない新種の登場ということで、世界中に衝撃が走る。
11月26日(金)のニューヨーク株式市場の終値は前日比905・04ドルも値を下げて、3万4899・34ドル。英国やドイツ市場も軒並み値を下げ、世界同時株安となった。
新型コロナ感染症はしぶとい。一喜一憂せずに、経済再生とコロナ対策の両立へ向けて、やるべきことをしっかりやっていく時だと思う。
柳井正さんの志
ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さん(1949年2月生まれ)は経済人、企業人の生きざまについて、次のように語る。
「世界市場が同一としたら、種の法則みたいなものがあって、同一種は同じ圏内では1種類で十分だと。ですから、自分の立ち位置をもっとはっきりさせて、どこで立っていくのかということを自分で定義して、その上で努力しないとうまくいかないと思います」
自らの使命、果たすべき役割は何か? という命題の追究。
柳井さんは、『諸行無常』(英訳するとEverything is changing)をひも解きながら、「偉い坊さんに聞いたら、あらゆるものが変わっていって、人間は死ぬんだと。人間は死んでいくのだったら、死ぬ前に何かやりたいと思うのが普通だと思うんですね」と語る。
全てのものが変わっていく。だから、変えない限り生き残れないという人生観、経営観である。
これは出来るという事を 1949年(昭和24年)2月生まれの柳井さんが父親から、郷里・宇部の衣料品店経営を受け継いだのは35歳の時。
『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』─。この時、柳井さんはカジュアル領域でアパレル世界1を目指すと宣言。そして、ZARA(スペイン)、H&M(スウェーデン)を指呼の間にまで追い上げてきた。
経営目標を掲げることについて、「ひょっとしたら、こういうことが出来るんじゃないかなと思ってやらない限り、それは出来ないです。もう出来ない理由を言うのは簡単で、目標に向かって努力するということが必要だと思います」と柳井さん。
もちろん、多くの試練があった。『ユニクロ』がここまで成長、発展できたものは何か?
「今は状況がかわりましたが、それまでは、このシーズンでうまく行かなかったら会社がつぶれるのではないかという危機感です。そういう危機感を持って仕事に取り組んできた」
危機感は人を育てる。
「僕が一番嬉しかったのは、上場したとき(1994)、銀行が担保を全部取ってくれたこと。上場して140何億円入り、借金を全部返済して、今後の出店資金に充てたので、そこから上場したし、今後は担保は要りませんということになった」
一歩一歩築き上げた実績が会社の、世界の信用を得ていく。
垣内俊哉さんの使命感 障害者の人たちが普通に生きていけるような社会インフラづくりを担う『ミライロ』。生活基盤のデザインや規格を標準化するユニバーサルデザインや障害者手帳のアプリ作製などを手がける同社の創業者で社長の垣内俊哉さんは1989年(平成元年)生まれの32歳。
垣内さんは岐阜県中津川市の出身。生来、骨と神経の病を背負い、これまで入院は20回以上、手術を15回受けてきた。
病のため、岐阜・中津高校を1年時に中退し、大学受験資格を取って、立命館大学経営学部を受験。
大学入試2週間前に車イスが転倒して骨折。緊急手術をして、ギプスを巻いて民間の救急車で試験会場入りし、見事合格。大学在学中に障害者のために働こうと起業した(2009年)。
今、全国で障害者の認定を受ける人は964万人。全人口のうち、およそ8%を占める。日本では身障者のうち、働いている人は約80万人で、全身障者の1割という数字。
「働ける身体状態の方は残念ながら半数です。つまり480万人位は働けるわけです」と垣内さん。
垣内さんの持病は遺伝的なものである。
「わたしは本当に有り難い時代に生を受けました。わたしの先祖は外にも出られないし、学べなかった。でも、わたしは学べている。働けてもいる。これは、先人の皆さんがつくってこられた社会のお陰です。だからこそ、それを後世に届けていかなければいけない。これからを過ごす障害者の方々の生活にしっかりと生かしていかなければいけないということで、事業を進めていくつもりです」
使命感のある人たちが未来を拓いていく。
2022年(令和4年)は『寅年』。寅には〝動〟の意味も含まれ、草木が初めて地上に顔を出す状態を指すといわれる。
地上に顔をのぞかせた草木が成長していく年だということ。また、同じ寅年でも、2022年は36年に1回の『五黄の寅』で運気のいい年だとされる。
株式相場の世界には、『寅は千里を走る』という格言がある。もっとも、相場に力強さはあって欲しいが、走り過ぎても、ということで、用心深さも求められるということか。
十二支の寅は動物でいえば、虎で非常に勢いのあるものになる。この虎には、どう対応していけばいいのか─。
コロナ危機はいろいろな教訓を残してくれたし、コロナ対策と経済再生をどう図っていくかという2022年の命題。
『虎に翼』で元々、力のある者がさらに勢いを増すのはいいが、節度を失うと衰退、場合によっては自己破壊してしまう可能性もある。
人との関係においても、『虎の威を借る狐』になってはいけないし、『虎の尾を踏む』という事もないように、危機管理が問われる年になりそうだ。
日本国内では新型コロナの感染者数は激減しているが、気になるのが南アフリカで見つかった変異株『オミクロン』の登場だ。伝播力が強く、従来のワクチンも効果がないといわれる。
コロナ禍は続く。酒の上で『虎になる』ことはまだまだ許されない。日常生活でも、バランス感が求められそうだ。
オミクロン株の登場に
新型コロナ感染症も収束してきたと思ったら、南アフリカに新たな変異株が登場した。
早速、WHO(世界保健機関)は最も警戒レベルが高い『懸念される変異株(VOC、Variant Of Concern)』に指定し、『オミクロン株』と名付けられた。
これまでも『アルファ株』、『デルタ株』などに翻弄され、2度のワクチン接種で何とかしのいでこられたと思った途端、今度はより強力な感染力を持つ『オミクロン株』だという。
しかも、これまでのワクチンでは免疫力を持たない新種の登場ということで、世界中に衝撃が走る。
11月26日(金)のニューヨーク株式市場の終値は前日比905・04ドルも値を下げて、3万4899・34ドル。英国やドイツ市場も軒並み値を下げ、世界同時株安となった。
新型コロナ感染症はしぶとい。一喜一憂せずに、経済再生とコロナ対策の両立へ向けて、やるべきことをしっかりやっていく時だと思う。
柳井正さんの志
ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さん(1949年2月生まれ)は経済人、企業人の生きざまについて、次のように語る。
「世界市場が同一としたら、種の法則みたいなものがあって、同一種は同じ圏内では1種類で十分だと。ですから、自分の立ち位置をもっとはっきりさせて、どこで立っていくのかということを自分で定義して、その上で努力しないとうまくいかないと思います」
自らの使命、果たすべき役割は何か? という命題の追究。
柳井さんは、『諸行無常』(英訳するとEverything is changing)をひも解きながら、「偉い坊さんに聞いたら、あらゆるものが変わっていって、人間は死ぬんだと。人間は死んでいくのだったら、死ぬ前に何かやりたいと思うのが普通だと思うんですね」と語る。
全てのものが変わっていく。だから、変えない限り生き残れないという人生観、経営観である。
これは出来るという事を 1949年(昭和24年)2月生まれの柳井さんが父親から、郷里・宇部の衣料品店経営を受け継いだのは35歳の時。
『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』─。この時、柳井さんはカジュアル領域でアパレル世界1を目指すと宣言。そして、ZARA(スペイン)、H&M(スウェーデン)を指呼の間にまで追い上げてきた。
経営目標を掲げることについて、「ひょっとしたら、こういうことが出来るんじゃないかなと思ってやらない限り、それは出来ないです。もう出来ない理由を言うのは簡単で、目標に向かって努力するということが必要だと思います」と柳井さん。
もちろん、多くの試練があった。『ユニクロ』がここまで成長、発展できたものは何か?
「今は状況がかわりましたが、それまでは、このシーズンでうまく行かなかったら会社がつぶれるのではないかという危機感です。そういう危機感を持って仕事に取り組んできた」
危機感は人を育てる。
「僕が一番嬉しかったのは、上場したとき(1994)、銀行が担保を全部取ってくれたこと。上場して140何億円入り、借金を全部返済して、今後の出店資金に充てたので、そこから上場したし、今後は担保は要りませんということになった」
一歩一歩築き上げた実績が会社の、世界の信用を得ていく。
垣内俊哉さんの使命感 障害者の人たちが普通に生きていけるような社会インフラづくりを担う『ミライロ』。生活基盤のデザインや規格を標準化するユニバーサルデザインや障害者手帳のアプリ作製などを手がける同社の創業者で社長の垣内俊哉さんは1989年(平成元年)生まれの32歳。
垣内さんは岐阜県中津川市の出身。生来、骨と神経の病を背負い、これまで入院は20回以上、手術を15回受けてきた。
病のため、岐阜・中津高校を1年時に中退し、大学受験資格を取って、立命館大学経営学部を受験。
大学入試2週間前に車イスが転倒して骨折。緊急手術をして、ギプスを巻いて民間の救急車で試験会場入りし、見事合格。大学在学中に障害者のために働こうと起業した(2009年)。
今、全国で障害者の認定を受ける人は964万人。全人口のうち、およそ8%を占める。日本では身障者のうち、働いている人は約80万人で、全身障者の1割という数字。
「働ける身体状態の方は残念ながら半数です。つまり480万人位は働けるわけです」と垣内さん。
垣内さんの持病は遺伝的なものである。
「わたしは本当に有り難い時代に生を受けました。わたしの先祖は外にも出られないし、学べなかった。でも、わたしは学べている。働けてもいる。これは、先人の皆さんがつくってこられた社会のお陰です。だからこそ、それを後世に届けていかなければいけない。これからを過ごす障害者の方々の生活にしっかりと生かしていかなければいけないということで、事業を進めていくつもりです」
使命感のある人たちが未来を拓いていく。