「特徴のないうどんが特徴」――。ハレの日需要や健康志向を狙う外食企業が多い中、埼玉を拠点に「うまい」「安い」「早い」「腹いっぱい」をスローガンに埼玉県民のソウルフードと呼ばれるようになったのが山田食品産業の運営する「山田うどん」だ。社長の山田裕朗氏は「身の丈」を強調する。創業約85年を迎える山田食品産業の他社とは一線を画す地域密着経営とは?
「ハレの日」でなく「日常使い」
「ハレの日や新たに女性客の獲得などを狙う外食企業は多いかもしれないが、『山田うどん』は日常食を提供し、気どらずにジャージでも来店できる店づくりを続けてきた。あくまでも身の丈に合った経営が信条。これからもこのスタンスを貫く」
赤いかかしのマークが目印で、「埼玉県民のソウルフード」とも言われている「山田うどん」を中心に、関東1都6県で約160の店舗を運営する山田食品産業社長の山田裕朗氏は、このように語る。同社の特徴と言えば「ロードサイド」「価格」、そして「ボリューム」だ。うどんを扱うライバル企業も出てくる中、所沢を拠点に地域密着のスタンスでコロナ禍でも生き残りを図っている。
山田氏は足元のコロナ禍の状況を「未曾有の危機」と表現する。一般的に外出自粛や在宅勤務の普及の煽りを受けた都心部の飲食店は厳しく、自家用車で来れる郊外の飲食店はあまり影響を受けないと言われるが、山田うどんも影響を受けた。
ただ、山田うどんはハレの日や女性にターゲットを置いた店ではない。埼玉県には工場や物流拠点も多く、ガテン系の男性トラック運転手も多い。彼らが常連客。仕事の合間などに山田うどんを「日常使いの店」として利用している。そのため、コロナ禍でも客足が大きく減ることもなく、影響は最小限に抑えられているという。
価格も原材料高の煽りを受けているが、1杯280円を維持。メニューも定食など100種を超えるほど豊富な上に、ボリュームも満点だ。ファミレスなどで、うどんと丼のセットを注文すると、どちらかは半人前で提供される。しかし山田うどんの場合は、どちらも各1人前。昨今の外食・食品業界では健康志向が叫ばれているが、同社の客層には無縁のようだ。
山田うどんは国道や県道といった幹線道路に多く、駐車場も広い。だからこそ、トラックドライバーの利用も多くなる。そもそもなぜ、山田うどんはロードサイド店が多いのか。山田氏はその理由をこう説明する。
「今でこそ埼玉・所沢と言えば『狭山茶』に代表されるように茶の産地になっているが、私の曽祖父が創業した1935年当時の所沢は小麦の生産が盛んな地域だった。この所沢の地の利を生かし、小麦を使って59年に製粉工場を建設。64年には製麺工場も増設した」
山田裕朗・山田食品産業社長
地元の小麦を使ってうどんを作り、スーパーや百貨店などに卸していったのだが、「先代(父で前社長の裕通氏)が良いものを作ってもスケールメリットには叶わず、値引きされる。どうせなら自分たちでお店を作って食べてもらおう」と考えたのが65年の山田うどん1号店だ。
しかも、自社工場での生産だったため、うどん1杯70円ほどだった時代であっても、山田うどんは1杯35円で売った。低価格が人を惹きつけて、すぐに行列ができるようになった。
さらに、多店舗展開が視野に入る中で追い風となったのが農家だ。広い土地を持っている農家から「うちでも(店舗の運営)やらせて欲しい」と次々に山田うどんを始めた。今で言うフランチャイズ展開だ。店舗が加速度的に広がり、最盛期には280店にまで拡大。山田うどんの駐車場が広いのは、こういった経緯があったのだ。
そして、70年代のファミレスブームに対抗して自社でもご飯や総菜など麵以外のメニューを増やし、それが現在の定食につながる。同時に、同じメニューや味を担保しやすい直営店の経営にシフト。さらに埼玉県内の小学校などの学校給食にもソフト麵としてうどんを支給したことで知名度は一気に広がった。
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店舗閉鎖を巡って父とぶつかる
ただ、同社の道の地は順風満帆だったわけではない。山田氏が商社から山田食品産業に入社し、社長に就任したのが2006年。2年後にはリーマン・ショックの襲来を受けた。「継続していた成長が落ち込み、店舗の撤退を父に進言すると、かなりぶつかり合った」。
山田氏の危機感を感じた先代も理解を示し、直営店約190店舗のうち30店舗を閉店した。脱埼玉を見据えて東京・浅草などの都心に出店したこともあったが、うまくいかなかった。
「うちに気取ったことは合わない。常連のお客様が普段の生活の中で自然とお店に足を運ぶことが『山田うどん』らしさ。庶民に愛され、その胃袋を満たすことが当社の役割だ」(同)
山田氏は会社の立て直しに奔走する一方、山田うどんの「らしさ」を失わせることはなかった。例えば、うどん。同社のうどんの特徴は「コシがない」こと。続けて「特徴がないのが特徴だ」と強調する。うどんは工場で一度茹で上げた麺を袋詰めして各店舗に配送。茹でたうどんを使用することで料理の提供スピードは早くなる。もちろん、その中でも、うどんの味なども緻密に改善し続けている。
さらに同社のもう1つの特徴が女性店長の割合が7割を占める点だ。「昭和の時代から子育てを終えた女性スタッフが店舗運営の中心。家に帰ってきたような店舗運営を心掛けている」
もちろん、新たな取り組みも実施。女性をターゲットにした新業態「埼玉タンメン 山田太郎」やコロナ禍の「おうち時間」を楽しんでもらおうとEC用に開発した「手打ちうどんキット」など、どちらも好調だ。
山田氏によると、危機時に定格が強みになるという側面もある。「うまい」「安い」「早い」、そして「腹いっぱい」――。今後も庶民に愛される日常の「食」を提供し続けていく考えだ。
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「ハレの日」でなく「日常使い」
「ハレの日や新たに女性客の獲得などを狙う外食企業は多いかもしれないが、『山田うどん』は日常食を提供し、気どらずにジャージでも来店できる店づくりを続けてきた。あくまでも身の丈に合った経営が信条。これからもこのスタンスを貫く」
赤いかかしのマークが目印で、「埼玉県民のソウルフード」とも言われている「山田うどん」を中心に、関東1都6県で約160の店舗を運営する山田食品産業社長の山田裕朗氏は、このように語る。同社の特徴と言えば「ロードサイド」「価格」、そして「ボリューム」だ。うどんを扱うライバル企業も出てくる中、所沢を拠点に地域密着のスタンスでコロナ禍でも生き残りを図っている。
山田氏は足元のコロナ禍の状況を「未曾有の危機」と表現する。一般的に外出自粛や在宅勤務の普及の煽りを受けた都心部の飲食店は厳しく、自家用車で来れる郊外の飲食店はあまり影響を受けないと言われるが、山田うどんも影響を受けた。
ただ、山田うどんはハレの日や女性にターゲットを置いた店ではない。埼玉県には工場や物流拠点も多く、ガテン系の男性トラック運転手も多い。彼らが常連客。仕事の合間などに山田うどんを「日常使いの店」として利用している。そのため、コロナ禍でも客足が大きく減ることもなく、影響は最小限に抑えられているという。
価格も原材料高の煽りを受けているが、1杯280円を維持。メニューも定食など100種を超えるほど豊富な上に、ボリュームも満点だ。ファミレスなどで、うどんと丼のセットを注文すると、どちらかは半人前で提供される。しかし山田うどんの場合は、どちらも各1人前。昨今の外食・食品業界では健康志向が叫ばれているが、同社の客層には無縁のようだ。
山田うどんは国道や県道といった幹線道路に多く、駐車場も広い。だからこそ、トラックドライバーの利用も多くなる。そもそもなぜ、山田うどんはロードサイド店が多いのか。山田氏はその理由をこう説明する。
「今でこそ埼玉・所沢と言えば『狭山茶』に代表されるように茶の産地になっているが、私の曽祖父が創業した1935年当時の所沢は小麦の生産が盛んな地域だった。この所沢の地の利を生かし、小麦を使って59年に製粉工場を建設。64年には製麺工場も増設した」
山田裕朗・山田食品産業社長
地元の小麦を使ってうどんを作り、スーパーや百貨店などに卸していったのだが、「先代(父で前社長の裕通氏)が良いものを作ってもスケールメリットには叶わず、値引きされる。どうせなら自分たちでお店を作って食べてもらおう」と考えたのが65年の山田うどん1号店だ。
しかも、自社工場での生産だったため、うどん1杯70円ほどだった時代であっても、山田うどんは1杯35円で売った。低価格が人を惹きつけて、すぐに行列ができるようになった。
さらに、多店舗展開が視野に入る中で追い風となったのが農家だ。広い土地を持っている農家から「うちでも(店舗の運営)やらせて欲しい」と次々に山田うどんを始めた。今で言うフランチャイズ展開だ。店舗が加速度的に広がり、最盛期には280店にまで拡大。山田うどんの駐車場が広いのは、こういった経緯があったのだ。
そして、70年代のファミレスブームに対抗して自社でもご飯や総菜など麵以外のメニューを増やし、それが現在の定食につながる。同時に、同じメニューや味を担保しやすい直営店の経営にシフト。さらに埼玉県内の小学校などの学校給食にもソフト麵としてうどんを支給したことで知名度は一気に広がった。
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ただ、同社の道の地は順風満帆だったわけではない。山田氏が商社から山田食品産業に入社し、社長に就任したのが2006年。2年後にはリーマン・ショックの襲来を受けた。「継続していた成長が落ち込み、店舗の撤退を父に進言すると、かなりぶつかり合った」。
山田氏の危機感を感じた先代も理解を示し、直営店約190店舗のうち30店舗を閉店した。脱埼玉を見据えて東京・浅草などの都心に出店したこともあったが、うまくいかなかった。
「うちに気取ったことは合わない。常連のお客様が普段の生活の中で自然とお店に足を運ぶことが『山田うどん』らしさ。庶民に愛され、その胃袋を満たすことが当社の役割だ」(同)
山田氏は会社の立て直しに奔走する一方、山田うどんの「らしさ」を失わせることはなかった。例えば、うどん。同社のうどんの特徴は「コシがない」こと。続けて「特徴がないのが特徴だ」と強調する。うどんは工場で一度茹で上げた麺を袋詰めして各店舗に配送。茹でたうどんを使用することで料理の提供スピードは早くなる。もちろん、その中でも、うどんの味なども緻密に改善し続けている。
さらに同社のもう1つの特徴が女性店長の割合が7割を占める点だ。「昭和の時代から子育てを終えた女性スタッフが店舗運営の中心。家に帰ってきたような店舗運営を心掛けている」
もちろん、新たな取り組みも実施。女性をターゲットにした新業態「埼玉タンメン 山田太郎」やコロナ禍の「おうち時間」を楽しんでもらおうとEC用に開発した「手打ちうどんキット」など、どちらも好調だ。
山田氏によると、危機時に定格が強みになるという側面もある。「うまい」「安い」「早い」、そして「腹いっぱい」――。今後も庶民に愛される日常の「食」を提供し続けていく考えだ。
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