世界の虚を衝くロシア
「ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反だ。軍を直ちにロシア領内に引き戻すべきだ」と西側の自由主義陣営はロシアを非難する。
【あわせて読みたい】『禍福はあざなえる縄のごとし』危機にひるまず共生の道を【私の雑記帳】
しかし、ロシア首脳は、「これは侵攻ではない。ウクライナの住民の求めに応じて行なった軍事作戦だ」と自らの正当性を主張する。
議論は平行線をたどり、解決の糸口が見つけられない。
日本時間の2月22日、ロシアのプーチン大統領がウクライナ東部の親ロシア派支配地域への派兵を命じ、戦闘が始まったことに世界は衝撃を受けた。
これまでに、ロシア兵約19万人がウクライナ東部沿いや隣国のベラルーシに張り付いているとの情報は流されていた。
うすうす「侵攻は近い」という予測も立てられていた。それでも、ロシア軍侵攻のニュースに、「まさか本当に実行するとは」という声と共に、「どう落し所を探るか」と戸惑う声も多く聞かれた。
真の解決策はあるのか? という問いに誰もが、「ウーン? 」と唸ったきり、後に続く声が出ない。
第2次世界大戦が終了(1945年)してからしばらくは米国と旧ソ連が対立する『冷戦』時代が続いた。この間、地域紛争は起きるが、世界全体が巻き込まれるような戦争は避けられてきた。
自由主義陣営(西側)のリーダー国が米国、社会主義陣営(東側の盟主が旧ソ連という対立構図。
その中で、中国が徐々に力を付け、1972年、当時の米大統領ニクソン氏が極秘に訪中を果たし、米中両国は国交回復を果たす。
米・中・ソの〝三角外交〟で勢力の均衡を図るという、ニクソン大統領側近のキッシンジャー大統領補佐官の外交戦略だった。
国際秩序は変転の歴史
新しい国際秩序の構築といっても、それは一筋縄ではいかない。
確かに、米国も三角外交・デタント(緊張緩和)外交の推進で、ベトナム戦争を終結(1975)に持ち込むことができた。しかし、その後もイランでのホメイニ革命の勃発、イラン国民による米大使館占領、湾岸戦争の後のイラク侵攻、さらにはアフガニスタン介入、撤退といろいろな試練や危機を体験してきた。
オバマ政権(2009―2017)になって、「米国はもはや世界の警察官ではない」と〝宣言〟。力の空白が世界の随所に現れ、その間隙を縫って、今回のウクライナへのロシア軍侵攻である。
プーチンの野望
1989年の『ベルリンの壁』が崩壊した後を受けて、旧ソ連邦も1991年に崩壊。
冷戦時代は資本主義対社会主義の対立とされたが、旧ソ連邦崩壊により、資本主義の勝利とされた。
旧東側の東欧諸国も旧ソ連のくびきから解放され、次々と独立。旧ソ連の一員だったウクライナも1991年に独立した。その日から30年余経ったところで、旧ソ連邦の後継国家であるロシアからの侵攻を受けるという悲劇。
プーチン大統領は今回の〝軍事作戦〟について、ウクライナ東部2州のロシア系住民の安全を守るためと称して侵攻を実施。ルガンスク、ドネツク両州のロシア系住民が多い地区の独立を早々に認める挙に出た。
プーチン大統領はロシアとウクライナの関係について、「歴史、文化、精神的空間の切り離しがたい一部」と最近はしきりに強調。
確かに、今回の〝侵攻〟の当事者、ロシア、ベラルーシ(旧白ロシア)、侵攻を受けたウクライナの3国の起源はキエフ大公国だ。
キエフ大公国は9世紀後半から13世紀半ばまで存在した。東欧、北欧の東スラブ人、バルト人、フィンランド人によって創設された〝リューリク朝〟の下、複数の公国の連合によって成立したという。このキエフ大公国を統治するキエフ大公・ウラジミール1世(在位980年から1015年まで)はギリシア正教を導入。自らも洗礼を受けた。
ロシア大統領の正式名称は、ウラジミール・プーチン。〝ウラジミール1世〟と同じ名を持つプーチン氏は1世の洗礼以来、「ロシア人とウクライナ人は1つの民である」と一体説を唱えている。
ウクライナに寄り添って だからと言って、1991年に独立を果たしたウクライナの主権を冒していいということではない。重大なる国際法違反である。
どうやってこの混乱を収拾していくか?
プーチン大統領は「ウクライナ全土を占領する気はない」と言うが、戦火は全土に広がり、首都・キエフでは市街戦に突入(2月28日現在)。
ロシアへの従属をジワリジワリと図る戦略。それも、ロシアへの軍事的反撃は無用だとして、「ロシアは有力な核保有国」と核の使用もほのめかして威嚇する。このような乱暴な言葉を、テレビに出て公言するあたりは、ヒットラーの横暴さと何ら変わりはない。
自由主義対社会主義(専制主義)の闘いは、歴史的には自由主義の勝利である。しかし今回、自由主義側のNATO(北大西洋条約機構)諸国は、ウクライナはNATOのメンバーではない─との理由で、軍事行動は取れない。
日・米・欧は経済制裁で一致─。ロシアに一定の自制を求める考えのようだが、プーチン氏にこの考えが届くのかどうか。
それにしても、人口4100万人、欧州で8番目にある穀倉地帯のウクライナの人たちの難渋である。日本もG7(先進7か国)の一員として、ウクライナに寄り添い知恵を出す時である。
諦めない生き方を 厳しい環境下でも、決して諦めず、自分の人生を見つめて生き抜く─。こうした企業人は決して少なくない。カップ麺を生み出した安藤百福さん(1910―2007)もその1人。現在の日清食品ホールディングスの創業者だ。
『食創為世』─。敗戦後10年余経ったときの1958年(昭和33年)に〝チキンラーメン〟を開発。お湯をかけるだけでサッと食べられるというインスタント性が世に受けて大ヒット。
子どもにも喜ばれ、仕事で忙しい人々のためにも役立つ。文字通り、世の人々のためになる食を創り出すという安藤さんの思い。開発には執念を燃やした。
「食糧事情がまだ悪い時に、粒食で食べるか、麺線状で食べるか、やっぱりのどごしがいいものをと考えていたようですね」と語るのは、長男で社長・CEOの安藤宏基さん。
安藤さんの〝世のため人のため〟の発想は他の企業経営者にも参考になる。あくまでも消費者サイドでの開発に徹した人生。「どんぶりで食べるのはカッコよくない」として、縦型カップのカップヌードルを次に開発。常に自らと会社を新しいステージに引き上げていくリーダーシップ。
自分が創ったものを否定して、次に新しいものを創造していく。〝世のため人のため〟という思想がわたしたちを魅きつける。
「ロシアのウクライナ侵攻は国際法違反だ。軍を直ちにロシア領内に引き戻すべきだ」と西側の自由主義陣営はロシアを非難する。
【あわせて読みたい】『禍福はあざなえる縄のごとし』危機にひるまず共生の道を【私の雑記帳】
しかし、ロシア首脳は、「これは侵攻ではない。ウクライナの住民の求めに応じて行なった軍事作戦だ」と自らの正当性を主張する。
議論は平行線をたどり、解決の糸口が見つけられない。
日本時間の2月22日、ロシアのプーチン大統領がウクライナ東部の親ロシア派支配地域への派兵を命じ、戦闘が始まったことに世界は衝撃を受けた。
これまでに、ロシア兵約19万人がウクライナ東部沿いや隣国のベラルーシに張り付いているとの情報は流されていた。
うすうす「侵攻は近い」という予測も立てられていた。それでも、ロシア軍侵攻のニュースに、「まさか本当に実行するとは」という声と共に、「どう落し所を探るか」と戸惑う声も多く聞かれた。
真の解決策はあるのか? という問いに誰もが、「ウーン? 」と唸ったきり、後に続く声が出ない。
第2次世界大戦が終了(1945年)してからしばらくは米国と旧ソ連が対立する『冷戦』時代が続いた。この間、地域紛争は起きるが、世界全体が巻き込まれるような戦争は避けられてきた。
自由主義陣営(西側)のリーダー国が米国、社会主義陣営(東側の盟主が旧ソ連という対立構図。
その中で、中国が徐々に力を付け、1972年、当時の米大統領ニクソン氏が極秘に訪中を果たし、米中両国は国交回復を果たす。
米・中・ソの〝三角外交〟で勢力の均衡を図るという、ニクソン大統領側近のキッシンジャー大統領補佐官の外交戦略だった。
国際秩序は変転の歴史
新しい国際秩序の構築といっても、それは一筋縄ではいかない。
確かに、米国も三角外交・デタント(緊張緩和)外交の推進で、ベトナム戦争を終結(1975)に持ち込むことができた。しかし、その後もイランでのホメイニ革命の勃発、イラン国民による米大使館占領、湾岸戦争の後のイラク侵攻、さらにはアフガニスタン介入、撤退といろいろな試練や危機を体験してきた。
オバマ政権(2009―2017)になって、「米国はもはや世界の警察官ではない」と〝宣言〟。力の空白が世界の随所に現れ、その間隙を縫って、今回のウクライナへのロシア軍侵攻である。
プーチンの野望
1989年の『ベルリンの壁』が崩壊した後を受けて、旧ソ連邦も1991年に崩壊。
冷戦時代は資本主義対社会主義の対立とされたが、旧ソ連邦崩壊により、資本主義の勝利とされた。
旧東側の東欧諸国も旧ソ連のくびきから解放され、次々と独立。旧ソ連の一員だったウクライナも1991年に独立した。その日から30年余経ったところで、旧ソ連邦の後継国家であるロシアからの侵攻を受けるという悲劇。
プーチン大統領は今回の〝軍事作戦〟について、ウクライナ東部2州のロシア系住民の安全を守るためと称して侵攻を実施。ルガンスク、ドネツク両州のロシア系住民が多い地区の独立を早々に認める挙に出た。
プーチン大統領はロシアとウクライナの関係について、「歴史、文化、精神的空間の切り離しがたい一部」と最近はしきりに強調。
確かに、今回の〝侵攻〟の当事者、ロシア、ベラルーシ(旧白ロシア)、侵攻を受けたウクライナの3国の起源はキエフ大公国だ。
キエフ大公国は9世紀後半から13世紀半ばまで存在した。東欧、北欧の東スラブ人、バルト人、フィンランド人によって創設された〝リューリク朝〟の下、複数の公国の連合によって成立したという。このキエフ大公国を統治するキエフ大公・ウラジミール1世(在位980年から1015年まで)はギリシア正教を導入。自らも洗礼を受けた。
ロシア大統領の正式名称は、ウラジミール・プーチン。〝ウラジミール1世〟と同じ名を持つプーチン氏は1世の洗礼以来、「ロシア人とウクライナ人は1つの民である」と一体説を唱えている。
ウクライナに寄り添って だからと言って、1991年に独立を果たしたウクライナの主権を冒していいということではない。重大なる国際法違反である。
どうやってこの混乱を収拾していくか?
プーチン大統領は「ウクライナ全土を占領する気はない」と言うが、戦火は全土に広がり、首都・キエフでは市街戦に突入(2月28日現在)。
ロシアへの従属をジワリジワリと図る戦略。それも、ロシアへの軍事的反撃は無用だとして、「ロシアは有力な核保有国」と核の使用もほのめかして威嚇する。このような乱暴な言葉を、テレビに出て公言するあたりは、ヒットラーの横暴さと何ら変わりはない。
自由主義対社会主義(専制主義)の闘いは、歴史的には自由主義の勝利である。しかし今回、自由主義側のNATO(北大西洋条約機構)諸国は、ウクライナはNATOのメンバーではない─との理由で、軍事行動は取れない。
日・米・欧は経済制裁で一致─。ロシアに一定の自制を求める考えのようだが、プーチン氏にこの考えが届くのかどうか。
それにしても、人口4100万人、欧州で8番目にある穀倉地帯のウクライナの人たちの難渋である。日本もG7(先進7か国)の一員として、ウクライナに寄り添い知恵を出す時である。
諦めない生き方を 厳しい環境下でも、決して諦めず、自分の人生を見つめて生き抜く─。こうした企業人は決して少なくない。カップ麺を生み出した安藤百福さん(1910―2007)もその1人。現在の日清食品ホールディングスの創業者だ。
『食創為世』─。敗戦後10年余経ったときの1958年(昭和33年)に〝チキンラーメン〟を開発。お湯をかけるだけでサッと食べられるというインスタント性が世に受けて大ヒット。
子どもにも喜ばれ、仕事で忙しい人々のためにも役立つ。文字通り、世の人々のためになる食を創り出すという安藤さんの思い。開発には執念を燃やした。
「食糧事情がまだ悪い時に、粒食で食べるか、麺線状で食べるか、やっぱりのどごしがいいものをと考えていたようですね」と語るのは、長男で社長・CEOの安藤宏基さん。
安藤さんの〝世のため人のため〟の発想は他の企業経営者にも参考になる。あくまでも消費者サイドでの開発に徹した人生。「どんぶりで食べるのはカッコよくない」として、縦型カップのカップヌードルを次に開発。常に自らと会社を新しいステージに引き上げていくリーダーシップ。
自分が創ったものを否定して、次に新しいものを創造していく。〝世のため人のため〟という思想がわたしたちを魅きつける。